12月が来た


これからいったいどうなるんだろう、と思い続けているうちになんと12月までやってきた。今年はずっと、判断保留というか、階段の踊り場で下るか上るか迷い続けていたような気がする。実際は、引越しだとか小鳥を飼うとか、生活にも様々な変化はあったわけだけど、この状況が落ち着いたら○○しよう、のフラグが折れる回数が多すぎて、できなかったの山があまりにも大きくなってしまった。
いい加減、その山は脇に置いておいて、この状況が落ち着かなくてもできることをもっと見つけた方が気分も晴れるような気がする。

最近やりたいなと思っているのは野鳥観察だ。
文鳥を飼い始めてからというもの、鳥に対する興味が高まり続けていて、先日も動物園に行ってみたのだけれど、できれば文鳥に似た小鳥を見たい私のニーズと動物園で飼育されている鳥たちの間には少々ギャップがあった。例えば孔雀とか、白鳥とか、もちろん素敵だしかわいいのだけど、どうやら私は我が家の文鳥との共通項を観察したいようで、雨宿りをしている雀を見つけたときの方がよっぽど面白い。
一軒家に住んでいたら餌台などを立てるのもいいけれど、生憎集合住宅住まいなので、
幸い観劇用の双眼鏡を持っていることだし(それで対応できるのかはわからないけれど)、近々、大きな公園にでも行って鳥を探したいなと思っている。

餌台といえば、祖父母の家の庭には鳥の餌台があった。祖父母の家のダイニングテーブルからその餌台がよく見えて、夏休みに預けられていた時など、よくりんごを置きに行ったりしたものだった。
獣医だった祖父に、今なら聞いてみたいことがたくさんある。

最近、小川洋子の「密やかな結晶」という小説を読んだ。小鳥を飼うなら、と勧めてもらって「ことり」という本を読んだのをきっかけに、今年はこれまでほとんど手にとったことのなかった小川洋子の本を続けて読んでいるのだけど、
その本に描かれているのは、様々な物事にまつわる記憶がある日突然消滅してしまう世界で、記憶が消えてしまうと、その「物体」も意味を失ってしまう。
例えば、大勢で集まって食事をすることができなくなるだなんて、昨年の今頃には想像もできなかったことなので、薄ら怖い気持ちで読んでいた。

冬は苦手だけれど、年末年始は一年で一番好きな季節でもある。毎年やっていたあれこれが今年はできないだろうことを考えるとそれもまた寂しいけれど、
それが本当に失われてしまわないように、今はできることをしていようと思う。新しい年は、ちゃんとくる。

密やかな結晶 (講談社文庫)

密やかな結晶 (講談社文庫)