映画ドラえもん のび太の新・宇宙開拓史

のび太の恐竜2006」からつづくリメイクシリーズの第3弾(ただし、声優陣リニューアル後の映画シリーズでは4作目)を見に行ってきました。公開したばっかりだからか、劇場は親子連ればかりでした。なんかちょっと安心。
いつもどおり、特典のドラえもん人形ももらえました。もしかして子ども向け映画ってお子様セットみたいな感じで、特典つくのが主流になってるのかな。

今回は「のび太の宇宙開拓史」のリメイクなのですが、正直なところ、オリジナルの宇宙開拓史については、コミックも映画版も、ほとんど覚えてないです。でも「のび太の恐竜2006」がすばらしかったのもあって、けっこう期待して見に行きました。ただ今回は、個人的には、ちょっと乗り切れないで終わってしまったなーという気がしています。
のび太の恐竜2006」が私にとってすごく印象深い作品になってるのは、ドラえもんの「やわらかさ」に驚いたからだと思う。私がリニューアル後のドラえもんを見たのはそのときがはじめてだった、というのもあるけれど、声だけじゃなく絵のタッチも、ドラえもんの質感も「新しい」ドラえもんになっていて、私はそこに「ただのリメイクじゃないですよ」という気合を感じたりした。それでいて、映画版ならではの「友情」も、笑いどころも、劇場にいる子どもと一緒に大笑いできたように思う。

じゃあなんで今回は乗り切れなかったのかというと、ひとつは、ゲスト声優が多いからのような気がしました。
私は、声優じゃない人が声優をやるときの、あの独特の棒読み感のようなものは嫌いじゃないです。もちろん例外もたくさんあって、たとえばドラミ役の千秋さんは、レギュラーだしさすがに棒読み感もなくちゃんとドラミだった。というか、長いことノンタンもやってたし、もう声優さんとしてもプロなんだろうな。
でも、今回は見てて(聞いてて)つっかえてしまう場面が結構多かった。プロとそうでない人との声と声がかみ合ってない感じ。声優に芸能人を良く使うジブリとかは「棒読み感」とプロの隙間をうめるのがわりとうまいなーと思うんですが、それでも声聞いて「顔」が浮かんでしまうと一気にさめてしまう。
でもまあ、劇場にいる子どもたちにそんなことはあまり関係ないのかなーとも思います。
ただもうひとつ、疑問に思ったのが、ジャイアンのび太の関係でした。映画版のジャイアンはきれいなジャイアンというか「いいやつ」になるのが定番だけど、今回はそこにかなり無理を感じてしまった。
のび太ジャイアンスネ夫から理不尽な言いがかりで仲間はずれにされて、偶然自分の部屋とつながってしまった遠い星「コーヤコーヤ星」に住む兄妹と仲良くなる。ジャイアンスネ夫は、一度はコーヤコーヤ星に招待されたものの、あっという間に帰ってしまって、それからほとんど物語りに絡んでこない。それなのに、終盤になって、しずかちゃんにのび太のピンチを告げられると「のび太のやつ、なんでおれに相談しないんだー!」と言って、コーヤコーヤ星に駆けつける。
ここで、いや、そんなこと言っても、相談できるようなタイミングなかったよね…、と思ってしまったんだった。
映画版のジャイアンがいいやつになる展開について、これまで見た映画版ではそれほど不自然さを感じたことはなかった(初代「魔界大冒険」ではジャイアンの活躍が一番印象に残ってるくらい)。それなのに、今回それを感じてしまうのは、それが「お決まり」として描かれてるからなんじゃないかなーと思ってしまいました。ここら辺は、ドラえもんみたいな長寿アニメだと、改めて説明するのもくどくなってしまうし、さじ加減が難しいのかもしれません。

とか、長々と煮え切らないことを書いてしまいましたが、やっぱりドラえもん映画ならではの、日常と非日常がつながる感じにはすごくぐっとくる。とくにコーヤコーヤ星における季節の設定や「石」の描写なんてすごく魅力的だ。それから、終盤の、のび太と敵ボスの決闘へと流れる場面も緊迫感があってよかったです。

それにしても、これだけ期待してしまうってことは、自分はよっぽど「のび太の恐竜2006」が好きだったんだなーと思いました。