グラン・トリノ

監督:クリント・イーストウッド

ほんとにぐっときてしまって参った。
この作品で監督兼主演をつとめるイーストウッドが演じるのは、妻に先立たれた老人、コワルスキー。二人の息子との関係もぎこちなく、孫たちにもウザがられる彼は絵に描いたような頑固親父なのだけど、宝物であるグラン・トリノを磨く様子などは涙がでるほどいとおしいし、さりげなく誕生日主張するとことかやばいくらいかわいい。
この映画では、彼が隣人であるモン族の人々とかかわるうちに、人生の岐路に立つことになる過程が描かれている。とてもシンプルな脚本ながら、とにかくコワルスキー老人の造形が魅力的で、彼が画面に映っているだけで目が離せなくなる。そして、不器用でも芯の通った物言いのひとつひとつが印象に残った。
それは、特に前半のコワルスキーの嫌味やマイペースなとこが、自分の父親と重なって仕方なかったからでもある。ほんとうによく似ている。似ているからこそ、彼がいくら魅力的でも、家族としてどう接したらよいのか戸惑う息子たちの気持ちがわからないでもなく切なかった。
自分にとっては、終盤、コワルスキーからの電話を切った後の息子の表情が、ちょっとした救いであり、同時に救われてしまうことでどうしようもない気分にさせられた。
それから、モン族の少年、タオを「一人前の男」に育てあげようとする場面では思わず、(ハードボイルドとはなんなのか知りたくて読んだ)パーカーの『初秋』を思い出したりした。もちろん主人公のイメージはぜんぜん違うのだけど、家の補修とかはアメリカ的な通過儀礼なのかもしれない。
 ‐
この物語の焦点は、クライマックスであるコワルスキーの決断だろう。これはイーストウッドなりの、「アメリカ」の決断なのかなとも思える。ただ私は、深夜コワルスキーの元を訪れた神父の問いかけを聞き、思わず「それもアリだ」と思ってしまった。普段ならあきらかに立ち止まるはずの決断なのだけど、それじゃあんまりだ。あんまりだ、と思いながら画面から聞こえる虫の音になぜか泣けて仕方なかった。
結末についてあれこれ言うことはできないというか、そうなった、としか言えない。ただ、たぶんコワルスキーは変わったわけではないのだと思う。ひねくれているようで、すごく素直な人だったなということを考え、やっぱりたまらない気持ちになった。
父さん…!!