例えば

あー夏だなと思うのは、例えば雨上がりの夕焼けと、大根おろしと、蚊取線香のにおい、網戸をひっかく猫の爪を指先ではがしながら、足を伸ばして扇風機の向きを変える、カコカコカコって感触の気持ち良さは、掃除機のコードうまくしまえたときのズジャッて感触とちょっと似ている。
持ち上げて、コンセントの先っぽがこっち見てるみたい、とか思うのはほとんど無意識で、その掃除機にも冷蔵庫にもテレビにも、いつのまにか性格のようなものを見てしまうのは、別に、不思議でもなんでもない、と言ってみてから、確かに「性格」なんて見る側のものなのかもしれないなーとか思う。
私の白い冷蔵庫は律儀、掃除機は落ち着きがない、テレビは動物園の奥の、小さな小屋の、さらに奥でジッとしてる丸い生き物のようだ。ときどきクイックルワイパーで顔を拭く、年期の入ったブラウン管テレビは、この部屋にくる前は弟のゲーム用テレビで、確かその前は居間にあった。ソファでうたた寝する、だらしない姿の向こうにうっすらと流れる大相撲、氷の音と、蝉の声。
そんな光景を思い出すのはどこかしんみりしたこころもちのするもので、しんみりといえば海、って思うのは青色のイメージだからかわかんないけど、でもそんなのファミレスといえばステーキ、いやいやファミレスといえばパンケーキでしょうなんて会話のように他愛もない。
ただ、やっぱりファミレスといえばステーキかパンケーキであって、いやいやほうれん草のバターソテーでしょうなんて言う人と、今はなんとなく喋りたい。で、それぜんぶ頼んで朝まで話して、さすがに夏は日の出も早いねーとか言いながら海まで歩きたい、なんて妄想を繰り広げる頭はまるで熱で溶けかけたレコードみたいに波打って、針が飛びまくる頭で、あー夏だなと思う。