灯油ストーブと靴

家では私が子どもの頃から灯油ストーブを使っていたのだけど、夜中に灯油が切れた時の、あのちょっとした絶望感たらなかった。面倒くさい、けど、今やらなかったら明日の朝必ず後悔するわけで、入れるべきかしぬべきか、とかなんとかいいながらスイッチを切って灯油缶を抜く。
寒い廊下で物置を半開きにして灯油缶のメモリをじっと見ながらポンプを握っているときの、あのからっぽな感じ。たまに、真っ暗な居間から猫が現れ、私の背後にあるふすまを開いて、寝ている母さんの部屋に消えていったりした。灯油缶のふたを閉め、右手に抱えてから薄く開いたふすまを閉じる。二階にある部屋まで戻るとき、よくスリッパが脱げて階下まで転がっていった。

いつだったか、弟が灯油をついでいたとき、私の靴に灯油をこぼしたことがあった。たぶん横着して物置のでなく玄関にあった新しい灯油をついでいたんだと思う。ポンプを外したときに空気を抜き忘れて、そのまま玄関にあった靴が灯油浸しになった。そこに、私がその日買ってきたばかりの靴があったんだった。
スエードの靴はしっかり灯油を吸い込んで、もうはけないことは明らかだった。弟は泣きそうな勢いで私の部屋にやってきて、そのことを謝った。
そのとき、なぜかまったく怒る気がしなかったのをよく覚えている。買ったばかりの靴をそんなとこにおいておいたのが悪いし、とかそういうことでもなく、弟が謝ったからでもなく、私が優しいとかでもなく、まあそういうもんだよねと思ったのだった。

その感覚はわりと新鮮で、たぶんその頃から、自分はあまりものに執着しなくなったんじゃないかなって気がする。もちろん、まったくないというわけじゃないし、大事にしているものもあるけど、代わりがないものっていうのは実はものすごく少ない。
家を出るときに持ち物確認するみたいに、どうしても必要ないくつかがあれば大丈夫だなって思うのだけど、そのいくつかのことを思うと大切で少し不安になる。

なんていうと、部屋がとてもすっきりしている人のようだけど、そんなこともないのが残念です。そのスエードの靴も、灯油くさくて一度も履いてないくせに、新品のまま捨てるのもしのびなくて、たぶん物置の奥にそのままある。
ということをせっかく思い出したので、そろそろ捨てようと思います。