iPad 欲しいかもしれない

ずっと読んでみたかった「青色本」の翻訳が載っているサイトを見つけたので*1、ここしばらく読み続けている。最初iPhoneで読み始めたのだけど、どこまで読んだかわからなくなってしまうので結局プリントアウトして、持ち歩いているこの紙の束を見つつ、あらためて電子書籍ってどんな感じなのかなということを考える。
先日友だちと飲んでいたときに、iPad買う? なんて話から電子書籍の話になって、iPadゲームブックとか楽しいかもねー、洋書読むときにも辞書参照するの楽だよね、なんて話をしていたのだけど、確かその翌日だかに、京極夏彦さんが新刊を、ハードカバーとiPad向け電子書籍の2種類で刊行するという話を聞いて*2、がぜんわくわくしてきた。

青色本の冒頭部分には「語の意味とは何か?」という問いが書かれている。その質問を引きずりながら、ついさっきまで散歩をしていた。
最高気温が30度にまで届いたという今日は、夜になってもまだ少し地面に暖かさが残っているようで、時折風にのって緑と土の匂いがする。長い塀のむこうには大学があって、クリーム色のカーテン越しに明かりがもれている。そして、まだ誰かいるのだろうか、ということと、あのカーテンの裾にはきっと「防炎」と書かれたタグがついているだろうということを同時に思う。
なんてことを例にあげるのは少々わかりづらいと思うのだけど、でもそんな風に、頭の中は常にたくさんの画像が重なっているようで、必ずしも今目に見えているものが前面にあるわけでもない。
イヤホンから流れるピアノの音を、5月にぴったりだなんて思うのも、友だちの顔を思い浮かべて、これ話したらどんな顔するだろうって想像するのも、全部いっぺんに頭の中を流れていて、それは光の当たる角度によってものの見え方がかわっていく感覚に近い。

読書をしていて、言葉や文章の意味するところと、私が思い浮かべることとが撚糸のようにあわさっていく、そのポイントをどうにか覚えておきたいと思うときに、紙の本にはなかなか書き込みなどする気になれないのだけど、電子書籍であればそこにいろんな情報を足していったりできるのかもしれない。
それは今もPDFでできたりするようなことに近いのだけど、もし今まで読んだ本すべて(とはいかなくても大方を)を、ひとつの電子書籍に収納できて、縦断検索などできるようになるなら、さらに自分の書き込みまで検索できるようになるとしたら、それはもう、頭の中の引き出しを外付けに保存するようなものではないだろうか。

って、ここまで勢いで書いたので、読み返したら何を言ってるのか自分でもわからなくなりそうだけど、ともかく、5年後、10年後の「本」を考えると、その楽しみ方はまだまだ広がっていくような気がするし、紙もまた、その選択肢のひとつとして残っていくように思う。
使ったことがない道具のことを考えるとわくわくする。なんてことを考えながら、やっぱりiPad欲しいかもしれないって思っているところです。

*1:って今「青色本」で検索してみたら1番にでてきたので驚いた…。

*2:http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20100520/1025029/