「渇き」

監督:パク・チャヌク
仕事帰り、見ようと思ってた映画2本に立て続けにふられ、でもなんか見たい…と思って近くでやってるの見つけて見に行った。事前情報が曖昧で、ポン・ジュノだっけ…パク・チャヌクだっけ…てな具合に駆け込みましたが(「母なる証明」みたばっかりなのにね…)、映画がはじまってしまえば見事なパク・チャヌク節でした。おもしろかった。
けど、「復讐三部作」同様に、やっぱり人にすすめにくい作品だなーとも思いました。

たぶんこの「渇き」は「復讐三部作」とテーマの近い作品で、特に「親切なクムジャさん」とイメージが近いと思います。グロテスクで切実でコメディのような場面も泣き笑いに近い。人間でなくなってしまっても、手ばなせない意志のようなものがあって、それが、監督の描きたいものなんだろうなと思う。

物語は、ある難病のワクチンを作るボランティアとして亡くなった神父(サンヒョン)が、生き返ることからはじまる。そして彼は蘇りの聖者として信仰を集めるようになるのだけど、じつはヴァンパイアになっていたのだった…! という、えっ? って展開が至極真顔で描かれます(ここがいかにもパク・チャヌク)。やがて彼は病院で幼なじみと再会し、その妻(テジュ)と恋に落ちる。
神父としてのモラルと戦いつつも、サンヒョンはテジュにひかれ、ある事件によって引き起こされた「悪夢」を境に、映画はまるでスイッチを入れ替えたかのように様相を変えていきます。
ネタばれせずに書くのが難しい話なのですが、とにかくこのサンヒョンを演じたソン・ガンホと、テジュを演じたキム・オクビンが素晴らしかった。スイッチのオンオフでまるで別人のように見える。とくにキム・オクビン
親切なクムジャさん」のときも「サイボーグでも大丈夫」のときも強く思ったけど、パク・チャヌク監督は女の人を魅力的に描くのがうまいなああと思います。

復讐三部作では、人が「復讐」に囚われることで、自身を失っていく様子を描いていたのだと思う。そして、この「渇き」では、ヴァンパイアという「獣」になってしまった人を描き、獣としての本能と、自らを律する気持ちが、絡み合って、ラストシーンへと転がっていく。
「復讐」に囚われることは、そのどちらにも重ねることができる。感情とは、本能と理性のどちらに分類されるのだろうか。そこに監督のテーマがあるように思いました。
ラストシーンがとてもよかった。わりと長いシーンなのだけど、最後の最後に出てくる小道具にぐっとくる。