10年

今日は昼過ぎに目が覚める。寝過ぎて頭が痛い。部屋のストーブが故障したらしくとても寒いので朝食(昼食)の後も居間でストーブにあたりながらぼんやりしていた。
テレビをつけて、たまたまはじまったのが「ザ・ノンフィクション」というフジテレビの番組。「サリン事件10年アニメで迫る真相」というタイトルで、サリン事件当日について実行犯達の供述をまとめた特集だった。
当時高校生だった私にとっても、オウムにまつわる数々の事件、報道はかなり衝撃的だった。選挙の宣伝車は高校の近辺で良く見かけていたし、テレビ画面に写る風景が自分も立ったことのある場所であるということがなんだか奇妙な感じがして、そしてとても怖かった。10年経った今も、オウム事件について話をするのは難しいし、うまく話せる自信も無い。
彼等のやったことが卑劣な犯罪であることに疑いはない。けれど、彼等が新興宗教団体であったということが、世間一般には「なんだかよくわからない」という恐ろしさを感じさせ、マスコミの報道もどんどん加熱していったのだとは思う。
ただ、10年間経って、いろんな報道を見聞きするうちに思うようになったことは、彼等、もまた一人一人の個人であるということ。オウムは宗教団体として犯罪を犯したけれど、その中にはその事件について何も知らない人もまた大勢いたのだ。その点については村上春樹さんがどちらか片方ではなく「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」の二つの書籍として書いてくれたことがとても印象に残っている。
そして今日の番組で特に印象に残ったのが、コクド事件や三菱ふそうの事件と関連づけ、上から指示されることに抗えない状況に陥った場合、思考停止してしまう人というのも実は結構いるんじゃないかということ。
前に見た森達也さんの「A」と「A2」のどちらかで、信者の一人が「ここ以外に行くところが無い」と言っていたのを思いだした。「ハルマゲドンなんて信じてないけど、帰るとこも無いからここにいる」と笑っている信者もいた。
今回の「ザ・ノンフィクション」は、虚構の世界に依存しているものたちを二次元アニメで描くという試みらしいけれど、「あっち」と「こっち」の境界線なんて実はとても薄いものなんじゃないかと思う。
それを「なんだかよくわからないからこわい」という理由で排除しつづけるということが余計に追いつめるような気もする。そしてそれはオウムだけに対する話ではないとも思う。
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A [DVD]」と「A2 [DVD]」は当時「理解しがたい絶対悪」として報道されていたオウムを中立的な立場から描いたドキュメンタリー映画。特に印象的だったのが、「A2」での教団施設を監視している近隣住人と信者との間に「交流」が生まれて行く過程でした。
いろいろ考えさせられる映画だった。そして理解できるかどうかじゃなくて、考えることが大事だな、と思いました。