「逃亡くそたわけ」/絲山秋子

逃亡くそたわけ

逃亡くそたわけ

「袋小路の男」がすんごく良かったので心にはばっちり刻まれていたのにも関わらず、最新作(車のがあるのでぎりぎり最新ではなくなってしまいましたが)を読んでなかった。うっかりだ。ということに気付かせてくれたshionoさんに、感謝です。
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主人公の花ちゃんはテトロピンという薬を飲むのが嫌になって、ふと思いたち精神病院からの脱走をする。その道連れとなるのが、東京コンプレックスがある名古屋人のなごやん。逃避行は福岡から始まって、南九州へ、つまりいき止まりへと向かう。九州を舞台にしたロードムービーのような小説。
知人に躁鬱病を煩っている人がいて、私もいくつか躁鬱病についての本を読んだことがあったおかげかもしれないけれど、花ちゃん(主に)の自らをもてあます感じはとてもよく伝わって来た。特に、躁のときの台詞で「ケータイあったら、片っ端から文句言ってやりたい人のいっぱいおるったい」というとことか知人も、同じことを言っていたなぁと思いだす。それでも、この小説にでてくる二人の主人公は自らの病とつきあいながら、あっけらかんとそれを「治したい」と思っていて、痛いのは嫌だと思っていて、都会の光を見てほっとする。それが私はうれしかった。

「俺、自分のものさしが全部おかしくなった気がするよ」p75

物語の中盤、阿蘇にいくシーンでのこの言葉を読んで、私もいつか阿蘇に行ってみたいなと思った。九州を舞台にしたロードムービーというと、まず「ユリイカ」を思いだすのだけど、確かユリイカでも阿蘇の神様の伝説の話がでてきたような気がする(小説版かもしれない)。
ともかく、この阿蘇を皮切りに、逃避行はどんどん現実味を帯びていく。いろんな出来事がおきて、それらはバラバラなようでいて、すべてが繋がっているような感じで流れる。
そしてラスト近くのTheピーズ。この不意打ちにはちょっと泣けた。物語の序盤から、時折背景にながれる音楽としてピーズの歌詞が挿入されるのだけど、近頃のピーズ開眼のおかげで、曲を思い浮かべることが出来て良かった。(まだ聞いたことがない曲が一曲だけあったけど)
きっと絲山さんはピーズの音楽をとても大事にしているんだと思うけれど、それは「なんとか生きてれば、生き延びれば」というところなのかもな、と思ったりする。
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喫茶店で読み終えて、帰り道を歩きながらipodで「手遅れか」を聞いていたら、「ゆたー」に辿りつくシーンがぶわっとよみがえった。

ばっちり世界は幸せ溢れてんのな/「手遅れか」より

いつもそうじゃなくてもいいから、そうだといいなぁ、と思う。どこにも行けないような所まで行って、帰ってきたら、こんなふうに思うのかもしれない。それが手遅れじゃなければいいな、と思う。