自分嫌い

「自分嫌い」な子供たち 中学生の半数以上 心の意識調査
中学生の半数以上が「自分が好きではない」ととらえ、小中学生の七割近くが疲労感を、さらに五割近くが「自分はいつかキレるかもしれない」と感じていることが、民間の教育研究団体「麻布台学校教育研究所」(原崎茂所長)が実施した「今子供たちの心の中では」と題した小中学生の意識調査で十七日分かった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050718-00000000-san-soci

自分が中学生の頃を思い返してみても、そんなものじゃないかな、という気はする。「自分がかわいい」とかそういう気持ちと混同しがちなことはあっても、「自分が好きだ」なんて思える瞬間てのは、実はあんまりないんじゃないだろうか。「充実している」「幸せだ」と言い切れるとしても、それはまた「自分が好き」ということとは違ったりする。
一般論にしてしまうのはよくないと思うけれど、「謙虚さ」を重んじることを無意識に選択するくせのある人が日本人に多いことは確かだと思うし、「自分が好き」だなんて言いにくいのはその辺に由来するってのもあるんじゃないだろうかと思う。
ただ、気になるのは、結びの一文で

子供が自己肯定感をはぐくむうえで(1)将来への夢や目標、希望をもてるか(2)自分の長所への自覚があるか(3)自分の存在が他人のために役立っていること−の三つが大きな要素となると分析している。

と書いてあるこの3点について、それを実感出来るということは幸せなことなのだろうけれど、この3点を実感することが難しい社会になっているのだろうなということはよく思う。
たくさん情報があって、便利で、という方向に社会が発展していくのは価値のあることだけど、その便利さを壁に感じることもあるんじゃないだろうか。もうすべてがあって、完結していて、自分がいなくても世界は回っているということが容易に想像できる。それくらい大きな(そして狭い)世界というのはかつて社会に出て初めて目の当たりにするものだったのかもしれないけれど、それが幼い頃から当たり前のように存在している感じ、が現在なんじゃないかな、とか。
毎日色んなところで色んなことが進んで行ってあっという間に置いていかれてしまうような、そんな風に見えやすい世の中になっていってると思う。可能性の量なんて決まっていないのかもしれないけど、自分の可能性が時間ともになくなっていくような、そんな感覚に「疲れた」と感じてしまうんじゃないかな、とか。

実際はどうなんだろうな。どうやってそんな感覚を克服すればいいかなんて私もよくわからない。だけど、「自分」を好きになれなくたって、何か好きなものがあれば支えにはなるんじゃないかなとは思う。夢とか希望とかって、持てと言われて持つものではないし、大層な夢や希望なんてなくてもいいんじゃないかな。なんか大事なもんがあって、それを守ってく人生ってのが行き着くところなんだとは思う。
「日本人の思い」というほぼ日のアンケートに同じような質問があったけど、
「あなたは疲れていますか?」という質問(http://www.1101.com/omoi/2005-02-25.html)には74.2%が「疲れてる」と答えてるし、「あなたは強いですか?」という質問(http://www.1101.com/omoi/2005-07-15.html)には63.1%が強くないと答えてる。
大人*1になっても、そんなもんだ。

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そんで、このニュースをブックマークで知って思いだしたのがsyrup16gの「I・N・M 」という曲。

君がなりたいというのなら/君でいれないというのなら/無視しきれないとまどいに/転がされてけよ もう一生

という歌いだしで始まる曲なんですが、《「自分が好きではない」と回答したのは小学生が男子23%、女子31%。中学生は男子50%、女子63%》の人にぜひ聞いてみて欲しいな、とか、おもったりした。Mouth To Mouseというアルバムに入ってます。
syrup16gはとても好きなバンド、なんだけど、その好き方についてはうまい言葉がみつからないんだよな。

*1:回答者の年齢層は正確なとこはわからないけど、まあ大人が多いだろうし