属すことを否定/肯定するだけじゃない物語が読みたい

この前theピーズの「やっとハッピー」という曲の感想の中に

「出来るだけ無理してでも同じトコにいよう」と言うのは、とても勇気のいることだ。

と自分で書いておきながら、なんとなく見てないものがあるような気がしたのでもうちょっと。
前に共同体に生きるということは、例えば大きな盆に入った水のようなものをみんなで支えているイメージ、というようなことを書いて*1、そこから手を離すということは、覆水盆に返らずのようなものになりうる、から手を離してはいけないよというルールがある、とされているんではないかというようなことを書いた。
でも、だからこそ、その盆を持ちたくない(持てない、持つ自信ないを含む)、と考えてる人も、実は多いんじゃないかと思う。守るものがある、維持したいものがある、というのは人を弱くもするし強くもする。でも身軽は楽だ。執着しないですむのは楽だ。
でも、そこを推してでも、その盆の持ち手に加わる、という決意がそこに見えるからこそ、上記に引用した歌詞を勇気のあることだと書いたんだと思う。
で、たぶん私が感情移入できないと感じる物語の多くは、その盆を持つことに対する葛藤が描かれていないものなんじゃないかと思った。
でも、属すところが最初からない、もしくは必要としていない、ところから始まる物語は確実に増えて(もしくは発見されて)いて、かといってその行き着く先が「僕はここにいていいんだ!」(シンジ君)というだけじゃなくて、なんかこう、その葛藤こそを描いてる何かが読みたい。例えば(って挙げるのは乱暴かもしれないけど)スタージョン「輝く断片」のような。
* * *
私にとって、「終わらないのが怖い」という気分は結構前からあって、それは例えば、宗教の行き着くところとして用意されている概念に、何かしらの違和感があるということでもある。で、大きな勘違いを覚悟で書くと、あの「人類補完計画」とかARTIFACT@ハテナ系さんの「個と個として繋がりたいのではなく「みんな」になりたい世界」という記事を読んだときにも、その「終わらなさ」と同じようなものを感じた。私にとって盆を持つということは、結構その「終わらなさ」や「終わることへの抵抗感」に近い。(ここで挙げたような一体ってことと、個々の関係性の上にある共同体をごっちゃにできないとは思うけど)
でも逆にそういった「集団」に属することに対する盲目的な反発というものもやっぱりあって(それはバランスなのだと思うけど)、どちらかというと、統一されることに抵抗を感じることが多い気がするものの、だからといって単純に反発することには、もちろん、違和感がある。
そういった違和感をこえて、この盆を支える手に加わるという決意をすること、の物語が描かれている何か、漫画でも小説でもいいから、を読みたいなと今思ってるんだけど、自分でもピンときてないものを探すのって難しい。

はやくこい はやくこいよ/どこみてんだ ホラここだ
みんなして手を振ってた/まってくれてたってのに ひでえ
気がつかないまま/わざと逃げたのさ 逃げたのさ
びびってたよ しあわせだったよ
theピーズ「手おくれか」

こんな感じが一番近い、かも。

*1:id:ichinics:20051015:p2