死刑制度は犯罪抑止力があるかどうかでなくて

「死刑制度は犯罪抑止力」があるかどうか、ということについてのこちら(「ダメなものはダメ」日記:ダメなもの「死刑は犯罪を抑止しない」)の記事を読みました。個人的には死刑制度は廃止した方が良い、と思っていますが、上記エントリでの主張が『なぜ死刑廃止論者は死刑の廃止とセットで厳罰化を主張しないのだろうか』というところにあるのだとしたら、「死刑は廃止して、厳罰化にすればいいのに」と思っているので基本的には同意です。まあコスト的な問題も絡んでくるので、「懲役数百年」とかは日本では難しいのかなとも思うのですが、勉強不足すぎて何も言えない。
ただ、気になったのが以下の部分。

たいていの人が死を恐怖するのだから、死刑が本能的恐怖を覚えさせ、以て死刑にも当然犯罪抑止力を期待できるとするのは説得力がないのだろうか。私を含め「死刑になるのは割に合わない」として殺人や強盗などの凶悪犯罪を思いとどまる人間や、「終身刑も嫌だが、死刑はもっと嫌」という人は十分多数派だと思う。
http://dassie-dame.seesaa.net/article/4310578.html

日本に言葉どおりの終身刑、というのがあるなら(現在の無期懲役は実質「無期」ではないので)私は終身刑のが嫌です。死ぬまで出られない場所で、いつ終わるか分からない人生を生きるなんて、想像するだけで最悪だ、と思う。それに最近では実際に「死刑を望む」と発言する犯罪者もいる訳で(そして宅間被告は早々に死刑執行された)、そこに偽りがないのであれば、彼等にとってもはや「死刑」は罰として機能していないとも言えるんじゃないでしょうか?
また、1984年の「半田保険金殺人事件」のように、被害者遺族が死刑を望んでいない、というケースだってある。*1 被害者が望まない死刑は、一体誰に望まれてるんだろう。もちろん、それがルールだ、というのはわかるんだけど…。
ともかく、犯罪抑止力として、機能するのは「死刑」だけではないし、個人的には、死刑以外の刑を与えることで生まれる可能性もあると考えてます。
この辺りはもっと審議して欲しいし、変わっていく余地がある問題だと思うな。

オウム真理教元代表・松本智津夫被告(51)の裁判の打ち切りが、再び東京高裁で決定した。弁護側は「ひどい決定だ」と憤ったが、事件被害者の遺族は「早く裁判を終わらせて」と求めた。
(略)
これに対し、棄却決定を聞いたある弁護人は、被告の治療が「さして意味があるとも思われない」と退けられた決定について、「治療の必要がないとは。ひどい決定だ。もちろん最高裁に特別抗告する」と語った。
http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY200605300520.html

麻原裁判については、以前(id:ichinics:20060221:p2)書いてからも気になってはいて(とはいってもニュースを追ってただけだけど)やっぱりまだ複雑な気持ちだ。
それは以前書いた裁判所の判断に対する疑念とともに、どのようにしてあの犯罪が犯されたか、動機は何か、犯罪を犯したということについて、どう考えているのか。その当たりの事が、彼が死ぬ、ということによって永遠にわからなくなるからだ。
例えば動機などについては、言葉で説明できるようなものではないのかもしれないし、語られたことが真実であるかどうかなんて分からないだろう。でも、私はそれが本人の口から語られるなら聞いてみたい、と思う。
(参考→たけくまメモ:宮崎勤の死刑判決に思う

*1:『弟を殺した彼と、僕』/ISBN:4591082350