冷め切りました/むなしさを感じる

松本被告死刑確定のニュースを受けて、いろいろな報道がされています。
このタイミングで死刑が執行されることの是非はさておき、オウム関連の報道を見ていると、そこに何らかの意志があるんだろうなということをよく思う。
ネットで見れる今日のニュースをざっと見ただけでも、各社かなり印象が違う。特に顕著なのがこれ。

坂本堤弁護士一家殺人事件で娘の都子(さとこ)さん夫婦と孫の龍彦ちゃんを亡くした大山友之さん(75)は、茨城県ひたちなか市の自宅で「確定まで遅かった。これ以上続けても麻原が本当のことをしゃべるわけはない。裁判への思いは、もう冷め切りました」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0915/TKY200609150397.html

朝日のニュースでみる被害者の発言は、死刑肯定に統一されている気がするけれど、同じ人物のものが読売だど以下の文章になっている。

坂本弁護士の妻都子(さとこ)さん(当時29歳)の実家(茨城県ひたちなか市)では、父親の大山友之さん(75)が「出るべくして出た決定で、当然のこと。ただ、このまま松本被告の口から真実が明らかにならなくなることにむなしさを感じる」と淡々とした口調で話した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060915it11.htm

印象の問題ではあるけれど、被告本人の口から語られなかったことがあって、それは死刑によって永遠にわからなくなるということだけは確かだ。そしてそれを知りたいと思うことは、死刑に反対することではないし、死刑に反対することも、罪を認めないということではない。もちろん、そこには様々な現実的問題や、尊重すべき被害者の感情がある。しかし、被害者の思いもまた様々なのだと思う。
理解できないとしても、その事件がどのような経緯でおこったのか、私は知りたい。こんなにも大きな事件なのにもかかわらず、未だに外堀だけしか見えていないような気がする。それは9.11のテロについても同様に感じるのだけど、決定的な違いは、首謀者が生きていて、捕まっているということだ。

関連

「死刑制度は犯罪抑止力があるかどうかでなくて」
http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060602/p2