全11巻を読み終え、まず最初に思ったのは、きっとこのラストまでのプロットを完全に考え抜いてから、描かれた物語なのだろうなということでした。もしかしたら違うかもしれない。けれどそう思えてしまうくらいに、全百話すべてで、一つの大きな物語としての力強い勢いに満ちていて、圧倒された。
まずは、おすすめしてくださったid:hurricanemixerさんに感謝! とてもおもしろかったです!
- 作者: 山口貴由
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2007/03/20
- メディア: コミック
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覚悟の過去のエピソードが語られるうちに、物語は徐々に覚悟とその兄、散(はらら)の対決へと展開していく。
零式防衛術は己のための剣にあらず
牙を持たぬ人の剣なり
ゆえに剣を抜くのは決して己ではなく
牙を持たぬ人の祈りなり
【第十話】
という父の教えを守る覚悟と、「物言わぬ自然に害をもたらす人類は無用」とする散。
それぞれの思いの所以が、「解説」されるのではなく、その行為によって明かされていく。この丁寧な(そして執拗な)人物描写が、まずこの物語の魅力だと思った。
「シグルイ」と「覚悟のススメ」の違いはコメディ描写があるかないかだ、というような意見をどこかで目にしたことがあるのだけど(たぶんアンテナ経由だったかと…)、シグルイも笑えるといえば笑える漫画だとは思う。
「笑える」というのはほんとに不思議な感覚で、とくにこの山口貴由作品を読んでいて笑ってしまうのは、むしろ気圧されてる感覚に近く、作者はどこまで意図してるんだか、わからなくなったりする。
例えば第一巻の覚悟が自己紹介する場面。背後から光があたり顔面に影の落ちた、覚悟のバストアップのコマと、続くコマでの罪子の「わー やさしい声」という感想は、明らかにミスマッチで笑えるんだけど、でもそれは覚悟の世界と罪子の世界の隔たりをあらわしていたりもする。だからこそ、ズレに笑いつつも、覚悟が罪子の明るさに救われていく過程に説得力を感じるんだろう。つまり「覚悟のススメ」にあるコメディとは、それがきちんと意図された演出であるという意味なのだろうなと思った。とはいえ、上に書いた罪子の感想のミスマッチのように、意図してるんだかわからない部分も多いんだけど、覚悟と散、そして、彼らの祖父が二千人以上の捕虜を人体実験で虐殺した末に生まれた「強化外骨格」零と霞の、ともすれば陰鬱になりかねない物語に、活気を与える存在として、罪子をはじめとする学園の生徒たちが生かされているのは確か。
なんて、こんなふうに何をいってみても言葉が本質に届かない気がする。このつかみ所のない迫力は「シグルイ」にも通じるものだと思います。はかりしれない…!
それからやっぱり、山口貴由作品独特の台詞回しも見どころ。
ときめくな俺の心
揺れるな俺の心
恋は覚悟を鈍らせる
【第四話】
こういった生真面目さが、きちんと人物の魅力になってるのがグッとくるなーと思う。
→
冒頭、戦術鬼との対決が続くところで、ちょっとグロい漫画なのかなと思ったりもしていたのですが、そこを見るのは見当違いだったと思う。読み終えてすぐ最初から読み返し、改めてこの漫画の、練りこまれた構成に感動してしまった。
そして、話の筋と人物ががっちりと絡み合っているからこそ、けして難しい話ではないのに、この漫画の「面白さ」を説明するのは難しい。ただ、とにかく最終話、第百話までたどり着いたときの、カタルシスには、格別なものがありました。
命を断つ拳ではなく
命を吹き込む拳を放て!
ただ、罪子に関してはひとつだけ、ひっかかっている場面があった。「あたしの王さまはあたしだもん」という台詞にあるように、その明るさとともに、誇り高さも罪子の魅力になている。なのに「わたしの値打ちは あなたがとなりに居ることノ」という四巻の台詞は、その後の行動とあわせて考えてみてもちょっとしっくりこないんだよなー。だれか解説してほしい。