夏は子ども

なにかもちあがる一言を、と思うとすぐさま、サマーヌードを聴く日々が続いています。
この曲を聴くと、すぐにはしゃいで、なんでもやれそうな気分になるんだけど、よくきくとこれは切ない曲でもあって、でも確かに夏には思い出すことたくさんあって、そのほとんどが楽しいことなはずなのに、ちょっと切ないのはなんでなんだろう。
朝霧のトリが真心だった年、前の方でみてたの抜け出して、片づけといたテントのとこで友達と合流して、あともうすこし、って暗闇の中でリュックに寄りかかって聴いていたあの時間、不意にちょっと泣けたのも、夏のせいだったんだと思う。
どうしたの、てすごく驚かれたのももういい思いでで。
つまり夏の思い出がせつないのは、夏のおわりというものが切ないからなんじゃないかと、思ったりした。まだいかないで!と思いながら、いま旅の準備を終えました。