人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ

長らく読んでみたいと思っていたナオコーラさんのデビュー作が、文庫になってたので買いました。奥付をみると、文庫になったの結構まえみたいだけど、たまたま面展されてたので気付いた。

人のセックスを笑うな (河出文庫)

人のセックスを笑うな (河出文庫)

一気に読める、とてもなじみのよい小説でした。読みはじめてすぐに考えたのは、これが女性によって書かれた、男性視点の物語であるということ。男性作家による女性視点の物語、というのは現代に近い作品で「リアル」さを強調されればされるほど、どこか落ち着かないような、気がする。けれど、それはきっと私が作者の性別を知ってしまっているせいでおこる摩擦なのかもしれない。そういうものは自分にもあるんだ、ということをよく思いだす。では、この小説を読む男性は、この男性の視点をどのように感じるのだろう。先入観のありなしは感じ方に差をうむだろうか…。そんなことを考えながら読んだ。
物語の中心にあるのは、美術専門学校に通う十九歳の主人公と、専門学校の講師である三九歳のユリとの恋愛、だ。この年齢のバランスは、奇抜であるように見せかけつつ、実は主人公を受け身の側に置く仕掛けでもあるのだろう。そのことで、主人公の視線を、自然に受け入れられる。つまり、この小説で、作者は自分の知らない性を描こうとはしていないのだと思う。
このことを、高橋源一郎さんはあとがきで

「男性中心社会」への反撃としての「女性言葉」の奪還が、その本質において攻撃的であるとするなら、女性化しつつある男性を肯定するこの小説は、その本質において攻撃性を持たない。それが、攻撃的な(いや権力的な)「男性文学」に抗する真の「女性文学」であるなら、この小説以前には、「誰もトライしていなかった」のである。/p155

と絶賛している。個人的には、山崎ナオコーラさんの特別については全面的に賛成だけれど、「攻撃的/権力的」な言葉に抗する女性の視点、という意味では、小説よりも漫画という表現でのほうが、ずっと先を行っているのかもしれない。まあそれは余談だ。とにかく、とても面白い小説です。
それと、昨日「真鶴」を読みおえたばかりだからか、主人公がユリに夢中になる心持ちを、どこかあの物語と重ねて読んでいた。例えば

しかし恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形がある訳ではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ。/p60

こういうところは、「真鶴」での、「まじりあってとけあって」いたいという心持ちとぴったり重なるのではないか。
そして結末まで読んで、あらためて二つの物語の近さを感じるとともに、この言葉はすんなりと、受け入れられると思った。たまたま手に取ったに2作品連続で、ほとんど同じ言葉を提示して終わったっていうのは、不思議だった。

「虫歯と優しさ」

同時収録の短編。この小説もとてもすきです。こちらは、女性である男性が恋人の男性とわかれそうである、という状況を描いたもの。歯医者で診察を受ける描写と、恋人とのやりとりを重ねるやりかたがとても気が利いているし、この物語も、結末がとてもよかった。あの場面が私は大好きだ。でも、私はどちら側に感情移入しているのだろう、と考える。どちらにでもなる。たぶん。