ひかりもかげりも波のあいだ

目が覚めて、布団に寝転んだまま階下に人の気配を感じるとき、食卓の笑い声や、テレビの音、誰かがドアをあけて、閉めるまでに間があるのは猫がエサを食べに居間を出て行くのだろう、とか、そんな光景が浮かんで、降りていきたいようなこのままずっと布団の中にいたいような気分で寝返りをうつ。それは昼休みのにぎやかな教室できゅうに気が遠くなるときの感じにも似ていて、なんで学生時代なんてもう遠いことなのに、いつまでもすぐそこみたいに思い出すのだろうか。

最近「四畳半神話大系」の原作を読みながら、主題歌つながりで聴いてたアルバムは随所に、その人たちが好きなバンドがよく使うフレーズが顔をのぞかせるのでつい「似てる」と言いたくなるのだけど、でもそれはけして悪い意味ではなく、ああこの人たちはあのバンドのこういうところが好きなんだな、私もだなー、という気持ちで聴いている。できるだけ、何かと比較したりせずに、それのよさを言いたいとよく思うのだけれど、それが絶対ではなくて、そもそも好きや嫌いは比較の前にあるのだと思う。こんなにはっきりしているそれを言うときに、比較がじゃまにならない方法はないものか。

最近気づくと同じことばっかり考えていて、それがとても楽しい。例えば、見慣れたドアがいつもと違う形に見えるとか、そんな些細なことなんだけど、でもそういうときに、それって意味ない、とか言うととたんにつまらなくなるので、もうちょっと、楽しいのが続けばいいなって思うようになった。梅雨が終わりそうで終わらない。風が強い日はいつも、隣の家の、犬のお皿が転がる音がする。