泣くことについて

わたしの涙腺はかなりゆるい。人前ではそれほど泣かないけれど、それは人がいることによって気が紛れているからで、1人でいるときの目水は、汗や空腹のときに鳴るおなかの音、よりはちょっとはましだけど、しゃっくりくらいにはコントロールしにくいものだ。
涙がでるものといえば、まず音楽、その次に映画、漫画、小説だろうか。そして、スイッチが入る瞬間には、なんとなく共通点があるような気がする。

具体的な出来事でいうと、例えば小さい頃、アリの巣を観察するつもりで大きなはちみつの瓶を予約してたことがあった。黒い紙を巻いておくと、瓶の側面にも巣ができるってのを、理科の番組かなにかで見たんだと思う。生協からきたはちみつの入った大きなガラス瓶はそれにうってつけに見えた。すぐに、これ中身がなくなったらちょうだいねってお母さんにいって、でもはちみつがなくなるには半年以上はかかった。そして、やっとはちみつがなくなって洗って干して、よーし土を入れてくるって庭にでたところで、私は派手に転んだ。そして瓶は割れてしまった。
数日後にはできているはずだったアリの巣と、それを観察していたはずの自分、そしてはちみつがなくなるまでの半年を思い浮かべ、私は盛大に泣いた。

つまり、具体的な出来事よりも、出来事にならなかったことについて、どうしようもない気持ちになることがあって、それはたぶん年をとるごとに増えていく。
そのイメージについては何度か書いた頃があるけれど、昼下がりに、誰も乗ってない電車で、ぼんやり窓の外を見ていて、緑が流れていって、そのことを誰かにいいたい気分、だったり、いまここといつかのここが重なることだったり、すごく漠然としてるんだけど、そんな光景が視界をかすめると、目から水が流れてたりする。

以上「涙がちょちょ切れるぜバトン」への回答です。
バトンは、かわいかったりおいしそうだったり面白かったり、いつもエロ楽しくて大好きなほにゃみさんからいただきました。ありがとうございます! バトン久々でうれしい。
ほにゃみさんの回答はこちら。

「もしもし」 - 酒と泪とバトンと携帯写真
http://d.hatena.ne.jp/./honyami1919/20081014

なんだかもったいないお言葉をいただいてしまいましたが、泣ける話にはならなくて申し訳ないです…。

鯖ー!