より大きな

先日、ロボット工学者である石黒浩さんがtwitterでかいていたことが面白くて、ここしばらく考えている。

犬の幸せは絶対的な幸せであり、人の幸せは相対的なのだ。
http://twitter.com/hiroshiishiguro/status/32672413917388800
人間としての幸せ、より大きな幸せは、食欲、物欲、性欲などの、その向こうにある。
http://twitter.com/hiroshiishiguro/status/32674088623284225

以前『私・今・そして神』という本の中で、「今」という時間について「夢を見ているとき、われわれはそれが後で思いだされることを意識していない。(中略)現実に生きているとき、われわれはすでにそれが後で思いだされることを知っている/p140」という説明がされていた。
それは現実に生きているとき、「今は未来にとっての比較対象である」と意識している、ということでもあると思う。
年をとればとるほど、比較する過去は多くなるわけで、それはなんだか息苦しいような気もするけれど、そもそも比較するというのもヒトが「進化の産物」として獲得した考え方なのかもしれない(とか、考えるのは「ハーモニー」の影響です)。
ただ、比較してどちらをよしとするかには比較できない基準というものがあるんじゃないだろうか。「食欲、物欲、性欲などの、その向こう」にある幸せを「より大きい」と期待するのもまた、相対的であることとは別の感覚なのではないかなと思う。
なんかもうちょっと、その先にあるような、あればいいなあという気がしている。