君の名前で僕を呼んで

監督:ルカ・グァダニーノ

80年代の北イタリアの避暑地を舞台に描かれる、17歳の主人公「エリオ」の恋の物語。
見ている間ずっと、エリオの視線が描き出す波紋が肌に伝わってくるみたいでとても気持ちが良かった。まるで一人称の小説を映像で読んでいるかのような情報量なのだけど、意外に言葉で説明されている部分はとても少ない。起こる出来事によって描き出される輪郭だけがあるみたいな映画だったなと思います。
本当に素晴らしかった。

以下内容に触れています。

物語は、彼の暮らす家に、父親の教え子(おそらく)である24歳のオリヴァーがやってくるところから始まる。自分の慣れ親しんだ生活環境に現れた他者が気になりつつ、距離をとりながら観察をしているエリオの様子は、思春期の頃の自分にも覚えがあった。
オリヴァーとエリオは似ていない。体格も、興味があることも、他者との接し方も、そして多分卵の食べ方も、エリオが知っている人々とオリヴァーは異なっていたのだと思う。
そういった未知の人間の観察に近かった興味が、やがて相手にどう思われているのか知りたいという主体的な興味へと変化していく。
明確にそうと説明はされなくても、その興味が恋へと変化していく様は手に取るように伝わってきた。「later!」という言葉が、まるで彼の自分への無関心のように感じてしまうのもそのひとつだし、彼に触れられるのが、彼と踊っているのがもしも自分だったら、と想像することはきっと恋の始まりだ。
指先を触れ合わせたり、相手の脱ぎ散らかした洋服のにおいを嗅いでみたり、エリオの欲の描写は、確かに欲の発露ではあるのだけど、それと意識せずにとる行動のようにも感じられて印象に残った。

物語の中盤、エリオはオリヴァーと張り合うようにして女性と関係を持とうとする。ここはエリオ自身のセクシュアリティが揺れていたという表現なのかもしれないけれど、同時に「オリヴァーのように」女性から求められる存在であることを証明したかったというのもあるんじゃないだろうか。
物語として描く場合は得てしてシンプルになりがちだけれど、そもそも人の行動に複数の動機や理由があることは珍しくはない。
例えば、初めてオリヴァーと寝た翌朝、戸惑っているかのように見えるエリオがオリヴァーに「どうした?」と聞かれて「行かないで」というようなことを答える場面。あれはきっと戸惑っていたのも本当だし、言葉にした「行かないで」も本当なのだと思う。

ただ、エリオが戸惑っていたのだとしたら、それはおそらく社会的な事柄についてというよりも、彼自身のアイデンティティの問題だったんじゃないだろうか。
オリヴァーはエリオと愛し合う際、彼に「君の名前で僕を呼んで」と言った。最初はなぜだろう、と思ったけれど、ラストまで観ると腑に落ちるし、個人的にはオリヴァーなりの精一杯でもあったんじゃないかと思いたくなりました。
この映画は恋の物語であると同時に、そうしてエリオが自分に出会うまでの物語だったのだなと思います。

「君の名前で僕を呼んで」オリジナル・サウンドトラック

「君の名前で僕を呼んで」オリジナル・サウンドトラック

音楽もとても良かったです。

雰囲気としてはロメール海辺のポーリーヌ」を思い出したりもしました。