新しい体

先日、携帯電話の契約を格安SIMに乗り換え、同時に機種変更をした。
それまでは2年縛りの契約だったので、そうと決めてからは契約更新月が待ち遠しく、SIMフリーの端末を用意した状態で待ち開始日に即手続きをした。
直前になって自宅のPCにバックアップを取ろうとしたらライトニングケーブルが反応せず(純正のケーブルを購入して解決)、ようやく繋げたと思ったらストレージ不足で保存できず(Adobe関連を諸々削除して解決)、そんな具合に、おそらく6年くらい使用したiPhoneを新しくすることにはそれなりの緊張感があった。

けれど、それからひと月経った今、私がこれが新しいことを忘れかけている。
たまにキャリア決済にしていたサービスが更新されていないことに気づくくらいで、ごく自然に、私がいつも使っていたものの延長線上にあるものとして接している。
当初は気になった重さにもすでに慣れ、古い方(まだ手元にある)を手に取るとむしろ違和感があるくらいだ。

真新しいのに、前の前の携帯で撮った写真やメモした内容が、全てではないにせよ残っているこの機械は、そのまま体だけ交換した新たな外部記憶装置のようだ。
これが逆に「古いiPhoneが初期化された」状態だとしたら、全てが違和感だらけだっただろう。

これを人に置き換えて考えてみたとき、もし仮に、体と記憶のどちらかを失うとしたら自分はどちらを選ぶのだろうか。
どちらかといえばーー記憶が途切れることの方がより怖いような気がする。
しかしそれが他者だったとしたら、記憶という目に見えないものより、肉体が失われることの方が恐ろしく感じるだろう。
その差はなぜなのかをなんとなく考えている。

たまに古い方の電源を入れてみると、wi-fi環境にあるので新規にメールを受信し続けているのが健気だ。
早く下取りに出そうと思いつつ、初期化するのに若干の躊躇いが生じるのが面白いです。