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 「桐島、部活やめるってよ」(ネタばれあり)

見た movie

監督:吉田大八
とても良かったです。ただ、これから見に行く方には、できれば前情報も公式サイトも予告編も見ないで見に行くことをおすすめしたいです。

桐島、部活やめるってよ」は、「桐島」という、ある高校のヒーロー的な学生が部活を辞めたという噂が広まっていく数日間の校内の様子を、複数の視点から描いた物語。
学校というのは格差社会である、という仮説がテーマでもあり、それでいて、どの立場にも偏らずに描かれているのがとてもいいなと思いました。原作は未読なのですが、こうやって描写はほぼ校内に限りモノローグもない中で、各視点の内面を想像させてラストに繋げていくという展開は、映像だからこそ出来ることだと思う。
いつもはなるべくネタばれしない感想を書こうと思ってるのだけど、今回はちょっと気になることが多いので、ネタばれ感想を書こうと思います。

【以下ネタばれのため畳みます】
自分は中高女子校だったので、桐島の彼女グループのパワーゲームの描かれ方や吹奏楽部の子の片思いに「あるある」などと思いつつ、でも学生時代の自分はそこにはいなかったし、対して高校生の男の子達の学校内での雰囲気というのは、見てもそれが「ある」感じなのかどうかはよくわからない、という若干離れた視点でこの映画を見ていたと思います。

「なぜ桐島さんが部活をやめたのか、わたし気になります…!」

この映画では「桐島が部活を辞める」ということが大事件として扱われているのにもかかわらず、彼がなぜ部活を辞めるのかということは最後まで明らかになりません。そのかわり、桐島が部活を辞める、ということに対する周囲の反応を丹念に描くことで、その波紋から浮かび上がる彼ら自身を描くという演出になっていました。
この映画の主な視点は、映画部の「前田」と桐島の親友である野球部の幽霊部員「宏樹」に集約されると思います。彼らは高校2年生で、そろそろ進路について考え始める時期にいます。

宏樹

「宏樹」は桐島の親友とされながら、彼が部活を辞めるということを知らされていませんでした。しかし彼は桐島が部活を辞めたことに対して、周囲の生徒ほど激しい反応を見せることはしません。見ていると、彼は人あたりもやわらかく器用で、人望もありそうなのに、彼女や野球部の先輩に対して、どこか気の抜けた反応を繰り返しています。
途中、彼は友人に「できる奴はなんでもできるし、できない奴はなにもできない」というようなことを言います。
幽霊部員である宏樹に対して、「お前がいれば勝てる気がする」と時折試合に誘ってくる3年生の先輩がいるのですが、彼はその先輩に対しても気のない反応をくり返していました。終盤、その先輩は「(普通は夏で引退するのに)なぜ引退しないのか」と問う宏樹に対して「ドラフトが終わるまでは引退しない」と答えます。宏樹がいなければ練習試合にも勝てないチームであることがわかっているため、ここでは劇場内でも笑いが起こったし、たぶん「宏樹」の心中もその反応に近かったのではないでしょうか。しかしその後、先輩はいつものように宏樹に助っ人を頼むのではなく、「次の試合は勝てそうな気がするから、応援にでも来てくれよ」と言います。これは今まで戦力として期待されていた「宏樹」にとっては、決別ともとれる言葉だったのではないでしょうか。

前田

映画部の「前田」は、物語で描かれる人物の中では、桐島部活やめるってよ事件から、最も遠い場所に位置しているキャラクターです。学校が格差社会であるとしたら、周囲は映画部のメンバーを「下層」であるように扱っていました。桐島事件はあくまでも自分たちを「上層」だと考えているメンバーの出来事なのです。
その象徴ともいえるのが、クライマックスシーンでした。映画部のメンバーが撮影をしている屋上に、「桐島」を探しにきた登場人物たちがなだれ込んできます。彼らは映画部の撮影など見えていないかのように、フレームのなかにためらいなく駆け込んできました。
そして、物語の転換ともなる、ある「逆襲」が行われます。

宏樹と前田

その逆襲がどこまで実際でどこからが妄想なのかはさておき、事件の後、宏樹は若干の逡巡の後、前田に話しかけます。前田のカメラを借り、そのフレームを覗きながら、彼は前田に「将来は映画監督ですか?」などと問いかける。
ちょっと意地悪すぎる視点かもしれないですが、ここで前田が同意すれば、彼はきっと野球部の先輩のドラフトへの未練と同じようなカテゴリにそれを押し込めて上書きしたのではないか、と思っています。
しかし前田は「映画監督になることはないだろうけど、こうして映画をとっているのは、自分と自分の好きな映画がつながっていると感じられるからだ」とはっきり自分の意見を述べました。
ここで宏樹はなんでもできる側だと思っていた自らの空っぽを、フレーム越しに覗き込んでしまったのではないでしょうか。彼には自らやりたいと思うような事は何もなかった。そして前田に覗き返され「かっこいいね」などと言われた彼は、うろたえ、その場を去ります。

桐島

「桐島」とは、格差社会というツリーの頂点に飾られていた「重り」のようなものだったのだと思います。
しかし、そもそもそのような「重り」の下にいなかった映画部は、自分たちの撮りたい映画をとろうという目標に向かって行動をしていて、信頼関係もあり、ムカつくことは多々あれど仲間内では楽しそうなのです。
前田の言葉は宏樹にとって、桐島のことがわからないのと同じように、自らの下に見ていた前田にも自分の知らない内面があった、というごく当たり前の、しかし彼にとっては盲点であった真実と向き合うきっかけになったのではないでしょうか。
そしてもう自分が戻る場所ではない野球部の練習風景を眺めながら、宏樹が桐島に電話をかける場面で映画は終わります。

桐島がなぜ部活を辞めたのかは最後までわからないのですが、「桐島が部活を辞める」ということは、高校生活の終わり(の予感)を象徴しているのではないかなと思いました。
そして、高校生活の終わりとは、「学校」という狭い世界の中に自分をどのように配置するかではなく、「自分」を世界にしなければならないということに気づくということでもあるんじゃないかなと思いました。

以上はほとんど私の想像だし、他のパターンも考えられるだろうなと思うのですが、見終わってからそんなことをぐるぐると考え、ではそのような波紋を起こした桐島とは、どのような生徒だったのか、やっぱり気になるなと思っています。
あとゾンビ映画の魅力って長らくよくわからなかったんだけど、この映画を見ていてなんだか、ゾンビっていいなと思ったりもしました。
前田君にはぜひ「最後のクラス写真」(ダン・シモンズ)を映画化して欲しいです。