「長い年月のあいだ、わしはずっと部屋の窓をあけはなち、世界に求愛していたんだ」
『スローターハウス5』
日曜日、「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行った。
Queenの事は、メンバーの名前と有名な曲と、グレイテストヒッツが英国史上最も売れたアルバムであることを知っているくらいで、それも学生時代にCDショップでバイトをしていて得た知識だったりする。そのくらいの知識でも公開してすぐ見に行こうと思ったのはとにかく「ボヘミアン・ラプソディ」という曲のことが好きだったからだ。
映画はとてもよかった。Queenの楽曲は今も新鮮に感じるような力強さがあったし、伝説のライブをまるで追体験できるかのような作りになっているのもグッときた、帰り道に我慢できずグレイテストヒッツをダウンロードしたおかげでスマホが久々に速度制限に引っかかったりもした(当然だ)。
でも、私がこの映画を見て真っ先に思い出したのは冒頭の、『スローターハウス5』に出てくるギルゴア・トラウトの言葉だった。
映画はドキュメンタリーではないし、フレディが亡くなっている今、どこまでが本当のことなのかはわからない。
けれど彼が70年代のイギリスで、移民であるという自らの出自*1に少なからずコンプレックスや疎外感を抱いていたことは、その改名の遍歴を見ても確かなのだろうしーー同時にのちに自らのセクシュアリティを自認したことでその思いはより強まっていったのではないかーーそして、だからこそ音楽で観客と一体になることに喜びを見出したのではないか。
そう感じたときに、あの言葉を思い出したのだった。
ブライアン・メイが「We Will Rock You」を思いついた瞬間のセリフに「観客が参加できるような曲を」というものがあったけれど、ラストのライブエイドの映像を見ても(そして実際の映像を見ても)、彼らのコンサートは観客と一体化することを目指したしたものであると感じた。あんな美しいコール&レスポンスを私は見たことがない。
そして、そんな風に、観客がその音楽を愛し、それを演奏するバンドが、スターが、観客を求めてくれるということはなんと尊いことなのだろうか。
映画の中盤、自らのセクシュアリティを自認したのをきっかけに、それまで付き合っていた恋人と別れたフレディが彼女が住む家の隣の邸宅に移り住む場面がある。そして、寝室の明かりを点滅させることで、隣家に住む彼女に自らの存在を伝えたりする。
あまりにもささやかで繊細なその仕草は胸に迫る。それが実際にあったことかはわからないけれど、彼女は晩年になるまでフレディの友人であり続けたという話もある。
彼の音楽はその点滅する灯りのように、誰かに自分の存在を伝える、世界に求愛をするために始まったものなのではないか。
そんな風に想像するのはおこがましいことかもしれない。
けれど今も世界中で彼らの音楽に「参加」する人たちがいるということが、ささやかにでも彼の力になっていたらいいなと思うのだ。どんどん、ぱ。
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*1:このことを私は映画を見るまで知らなかった