6月に見た映画

まさかの梅雨明けで6月が終了し、クーラーをつけずには眠れない日が続いています。
このペースで行くと10月くらいに冬が来るのでは!?とか思いましたが、ツイッターのログを検索したら一昨年は梅雨明けが遅かったらしいので、まあこういう年もある、ということなのかもしれません…。
6月は割と忙しかったので、あまり映画館に行けてない気がしましたが、月4本普段通りのペースでした。

★★★★ とてもよかった
★★★ 好き
★★ うんうん
★ うーん

レディ・バード」★★★★

サクラメントを舞台に描かれる思春期の「自分で自分にレディ・バードというミドルネームをつけている」女の子の物語。彼女が「今ここ」から抜け出したくて足掻く過程で、いろんな人を傷つけてしまったりするところは胸が痛んだりもしましたが、出てくる人が基本的に優しくて、学校の先生とかもちゃんとレディ・バードって呼んであげてたりするのがいいなと思いました。特に親友と仲直りするプロムのシーン最高でした。
アイ・トーニャ、フロリダ・プロジェクト、レディ・バード…とアメリカの郊外の物語を立て続けに見て、時代はちょっとずつ違うものの、貧しさとはつまり、ここからでて行くことの難しさなのかもな知れないなと思った。立ち向かい方はそれぞれで、レディ・バードの場合は自分を受け入れることだったのかなと思います。あと現代にクリスチャンであることの意味、みたいなところをもうちょっと考えたいと思った映画でもあった(自分も両親がクリスチャンなので)。

「犬が島」★★★

最初ちょっと色々考えてしまうところもあったのですが、あっという間に、絵がすごい&犬〜〜!しか考えられなくなってしまいました。スポッツと初めて会って言葉を理解した瞬間のスポッツの表情は5億点でした。あれチーフでもやって欲しかったけど繰り返さなかったのは2人にはすでに信頼関係があるからなのか、もしくは監督のエモはそこにないからなのか気になります。
全体的にはウェス・アンダーソンが見た不思議の国ニッポン、という感じの映画で、声優さんも日本人役は基本日本人(主人公は違う)なんだけどどこか片言なのも不思議なバランスだった。なのに所々妙に生々しい日本語がまぎれたりするのが面白かったです。例えば、研究成功で一本締めするシーンとか手術中お医者さんがやたら「はーい」っていうとことか、たくさん観察して面白いと思ったものどんどん入れてるんだろうなと思いました。でもこれは日本語話者ならではの面白がり方なのかもしれない。

ニンジャバットマン」★★★

バットマンが戦国時代にタイムスリップして、ジョーカーによる歴史改変を阻止する…!というお話。テレビCMでジョーカーが「第六天魔王ジョーカー」って言っているのを聞いて、髑髏城なのでは!?と思い見に行きましたが、まさしく中島かずきバットマンに当て書きした「亜火無城の七人」だったなと思います。場面によって絵柄を変えてきたりするのも面白くて、とあるシーンのジョーカーが完全に翁だったのが面白かったです。ただいかんせんバットマンに対する知識がないので、よくわかってないネタとかもあるような気がする。

万引き家族」★★★

見る前は万引きの話(万引きで捕まって何かあるというような)だと思っていたんだけど、万引きはあまりメインの題材ではなく、家族とは、という物語だったと思います。でもこのタイトルにしたのはこの家族の集まり方それ自体を万引きに例えているのかなと思った。
劇場で見た時、場内が暗くなってからビール片手にやってきたいかつめの男性グループが隣の席に座ってちょっと酒臭いなぁなんて思いながら見ていたのだけど、彼らがとある場面で嗚咽しだしたのが臨場感あって良い思い出です。

上半期ベスト(暫定)はこんな感じ。

映画とは関係ないですが、先日ねとらぼさんで推しと推しアクセの紹介をさせていただきました!

nlab.itmedia.co.jp

光の館に泊まった日記

この数年、GWを過ぎた頃に10人前後で1泊旅行に行くのが恒例になっている。
会うたび「来年はどこに行こうかね」と話すのももはや口癖の域なのですが、今年、2018年についてはなんと昨年末から行き先が決まっていたのでした。なぜなら友人が新潟にある「光の館」の予約をしてくれたので…!

「光の館」は、「ジェームズ・タレルの作品として第1回「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000年)で生まれたものhttp://hikarinoyakata.com/)」とのこと。私が知ったのは、在華坊さんのブログからで、今回も出発前に再読して参考にさせていただきました。感謝。

光の館に泊まる - 日毎に敵と懶惰に戦う
光の館に12人で泊まる - 日毎に敵と懶惰に戦う
光の館に12人で泊まる、再び - 日毎に敵と懶惰に戦う

出発

チェックイン時間が16時と決まっていることもあり、朝は東京駅に9時半くらいという遅めの待ち合わせでした。
とはいえ、この「意外と遅め」で慢心した私は、あと10分…なんて延長を繰り返したおかげでギリギリの時間に起床。完全なる空腹状態で東京駅につき、おむすび(唐揚げ入り)とビールを購入して新幹線に乗り込みました。越後湯沢でお昼ご飯の予定が入ってなかったら駅弁を買っていたテンションだった。むしろ「お昼あるからおにぎりにしておいたんだよね〜」的なことを話していた気もしますが、おにぎりでそれなりに空腹が満たされてしまったせいか、いざ越後湯沢に到着してお昼ご飯!となったところで、注文したランチメニューを食べきれない…という失態をやらかしてしまい反省からのスタートでした。
ご飯はとても美味しかったです。さすが米どころ、米がとにかくおいしい。


食事の後は「光の館」のある「十日町」へ。
十日町までの車内では、各々インターネットなどをして過ごしていたのですが、長いトンネルになると(電波が途絶えて)皆そわそわしだすのが面白かった。途中、トンネルの中に駅らしき場所があり、狐につままれたような気分になったのですが、帰宅してから調べてみるとおそらく「美佐島駅」だったのだと思われます。

www.nta.co.jp

トンネル内にある駅は日本で7駅だけなんですね。機会があったら駅舎からどうホームへ行くのか体験してみたい。

途中、列車の点検などがあり、十日町駅についたのは予定より少し遅れて15時10分くらいでした。
「光の館」へはここからタクシーで30分程度はみておきたい、ということで慌てて駅前のスーパーで買い物をし、タクシー3台に分かれていざ出発。ギリギリ16時オンタイムに到着することができました。時間厳守なのは、光の館は管理人さんが常駐しているわけではなく、その時間に説明を受ける必要があるからとのこと。間に合ってよかった。

光の館

 外観

公式HPにあるジェームズ・タレルの言葉にも、この建物は谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』をモチーフにしている…とあったので、宿泊前に読んでおかねばと思っていたのに数ページしか読み進められないまま当日を迎えてしまった。
結局、こちらに帰ってきてから読んだのですが、なるほどと思うところがたくさんあって面白かった。
陰翳礼讃の、特に厠についてのくだりが細かくて面白かったので引用。

それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。

厠について熱く語る…というところに少々おかしみはあるけれど、1人になり、ふと家の気配が立ち上がる瞬間のたまらなさは何となく想像がつく。この厠の光景だって、見たことはないはずなのにそれを懐かしむような気持ちで読んでしまった。
「光の館」の手洗いに窓はなかったけれど、薄暗く清潔であることは共通していたし、そんな風に自然の延長線上にある家屋での生活を体験できるという場所なのだと思う。

玄関

玄関は2階にある。入って右にはアウトサイドインという屋根が開く部屋があり、左手にはキッチンとそれに併設された小さな部屋。それらをぐるりと囲うように外廊下が設えられている。
玄関脇にある急な階段を降りて1階におりると、低い位置にある窓が印象的な「庭の間」と、その向かいに浴室と2つの手洗いがあった。

浴室

建物中、どこにいても薄暗さがつきまとうのだけど、そのぶん室内から見る緑の濃さや水面にうつる光の奥行きの美しさにたびたびはっとさせられる。
外廊下からの眺めもすばらしく、柵も景色を遮らないため室内からの視界が広い。朝起きてこんな場所で小一時間ぼんやりできたならどんなにか幸せだろうなと思ったし、それを1日でも体験できて本当に気持ちがよかった。

鳥目なので、階段や夜真っ暗になってしまう浴室は正直怖かったけれど、明るい生活に慣れているせいもあり、薄闇に目をこらすと言うこと自体が新鮮でもあった。

しかし真っ暗な中でお風呂に入るのは危険、ということで女性はついて早々、明るいうちに交代で風呂に入ることにした(当日は女6人、男性3人)。
風呂の後は、やることを済ませてしまった安心感からか、のんびりと酒を飲んだりしてすごす。


月髑髏のテンションで購入したこの梅酒を持参していたのだけど、1人では一升瓶を飲みきれないと思っていたので、飲んでもらえてよかったです。

アウトサイドインの部屋で夕食を食べていると、やがてナイトプログラムがはじまった。
日没と日の入りの時間に合わせて行われる光のプログラムで、移り変わっていくLEDの光によって窓から見える空の色が様々に変化して見えるというもの。色の変化に規則性や何らかの効果があるのかどうかはよくわからなかったけれど、皆でねころんで「緑だ!」「ピンクだ!」「この色すき」みたいなこと言っているだけで楽しかった。

日が暮れると結構寒い。一応天気予報で予想気温も調べて上着を持参していたのだけど、半袖にカーティガンを羽織るくらいではまだ寒い。ちょうどお土産にいただいたお茶っ葉で暖かいお茶を淹れたりもしつつ、次来るときはコーヒーもってきたいね、という話をした。
酒の続きを飲んだり、ワードウルフやワードバスケットで遊んだ後は、午前3時半頃からはじまるという日の出のプログラムに備えて早めに就寝。
……したものの、寒さで全然寝付けずうとうとしたり起きたりを繰り返していて、3時半に目覚ましが鳴るまで、体感30分でした。
それぞれ掛け布団を抱えてアウトサイドインの部屋にあがり、敷き詰めてあった布団に寝転んで天井をひらく。梅雨入りしてしまったので心配していたのだけど、夜も朝も雨は降らず、窓をあけることができたのはほんとうにラッキーだった。
布団にくるまりながら、あけていく空をぼんやりと眺めていると、次第に切り抜かれた空がすぐそこに浮かんでいるような気がしてくる。


みんなのカメラロールだいたいこんな感じになっていた。

室内にいるのに外にいるような感覚をおぼえると同時に、たとえば、手元の盃に月を映す*1…なんてことと同じように、切り取った空を家の中に持ち込んでいるような心持ちにもなった。

翌朝

4時すぎに朝のプログラムが終わり、二度寝しに庭の間へもどる。
今度はぐっすり眠ってしまい、起きたのは一番最後でした。なんとか身支度をして上にあがると、皆が朝ごはんの用意をしてくれていて圧倒的感謝だった。
昨日のスーパーで購入した、たまごかけごはんと野菜とスイカとけんちんじる*2を、外廊下にならべたテーブルで食べる。
特別天気が良い日というわけでもないはずなのに、透き通った日差しが美しくて、米粒までもが神々しく見えた。寝ぼけた頭で、朝ごはんは、このような光の中で食べるのが理想だよな、なんて考える。
食後は余ったビールを飲みながら掃除。皆働き者なのでこういうときあっっという間に片付くのがすごい。普段怠け者の私もつられて動けるのでありがたいです。

 最後のビール

チェックアウトは10時。管理人さんに館内の点検をしてもらった後、最後に玄関で集合写真をとってもらい、光の館を後にしました。

帰路

昼食後、新幹線までの時間は越後湯沢駅で過ごすことに。
と言うわけで私は行ってみたかった「ぽん酒館」へ。
主にフジロックに行ったひとたちの写真で知ってずっと気になっていたところなんですがこれすごい楽しかった!
500円払って5枚のコインとおちょこをもらって入場すると、中にはずらりと日本酒のサーバーがならんでいます。古酒、焼酎、ワインなんかも少しある。
で、それぞれコイン1〜3枚とかいてあるので、そのコインを入れおちょこに注ぐという形式です。

それぞれ丁寧な説明がついているので、好みのものを選べるのが楽しいし、コイン5枚の範囲内で楽しむという自制心が効くのもよいですね。
お塩や味噌なんかが置いてあってこれをつまみに飲むこともできます。

新幹線でさっそく「来年はどこ行こうか」「光の館もまた行きたいね」なんて話をしているうちに皆うとうとしはじめ、あっという間に東京へ。三三五五で解散し、家についたのは19時頃でした。翌日も仕事ですけどこの時間なら安心です。
いつものように風呂の中で本を読みながらふと、この家のなんと明るいことかと思ったりした。

気づいたこと

個人的に次回行くなら持参しようと思ったものをメモしておきます。6月初旬気温13度くらいの夜の日です。

  • インスタントコーヒー

夜冷えるので暖かいものが飲みたくなった

  • あたたかい上着

夜は冷える&掛け布団が薄いので寒い

  • もしあれば滑らないサンダル

お風呂場の床がめちゃくちゃ滑ります。ちょっと転びかけた。安全な移動のために皆で使える滑らないサンダル的なものがあればいいなと思いました。

  • キッチンペーパーorダスター

備え付きのふきんが割と使い込まれており、繊維がぼろぼろと落ちます。なので使った皿をふくときに繊維がつくのがきになりました。食器を使う予定がある場合はこういったものもあると便利かも。(今回はスーパーでキッチンペーパーを買っていきました)

こんなところかな?
そんなわけで「光の館」ぜひまた訪れてみたいです。

陰翳礼讃

陰翳礼讃

*1:やったことないけど漫画で読んだことがあります

*2:これはケータリングの残り

5月に見た映画

昨年は見た映画のメモをとり忘れていたので、年末に1年のまとめを書く際に思い出せなくてにちょっと困りました。
なので今年はメモを取っています。個々の感想を書くこともあるけど、せっかくなので今後は月いちでまとめてみたりしよう…とかなんとか思っていたらすでに6月なんですけど、思い出したのでやってみます! ぎりぎり間に合った上半期。
(評価形式は、長年映画コーナーを愛読しているschool death coさん(https://webb.exblog.jp/)のものを参考にさせていただきました。今も続いていて嬉しいです)

★★★★ とてもよかった
★★★ 好き
★★ うんうん
★ うーん

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」 ★★★

かつて、近所にあったブロックバスター(という名前のレンタルビデオ屋)で、我が家は「ジュマンジ」を繰り返しレンタルしていました。返却してもまたしばらくすると誰かが借りてきて、「またジュマンジ?」とかいいつつ結局皆でそれをみた。お母さんがよく作っていたコーンフレーク入りの大味なクッキーなんかを食べながら、もしくは餃子を包みながら、もしくは半分うたたねしながら、もしくは誰か自販機でコーラ買ってきてよ、みたいな会話をしながら、私たちはそれを細切れに見ていたのです。というわけで久々の新作は弟と妹を誘って見に行きました。めちゃくちゃ面白かった(特にジャックブラック)し、その後しばらく「舌を上顎につける」だけで笑ってたけど、でもよく考えてみるとファミリームービー感はあまりなかったような気もした。そして、私の考えるファミリームービー感とはつまり、ロビン・ウィリアムズだったのだなと思い、改めて寂しく思いました。

名探偵コナン ゼロの執行人」 ★★★(※安室さん効果は5億点)

物語の2/3くらいまでは「なるほど~」みたいな社会科見学気分だったんですけど、終盤で畳み掛けられて瀕死みたいな映画でした。かろうじて声は出てなかったと思うけどずっと「やっば……」って思ってたし映画が終わって客電ついた瞬間に場内のあちこちでふわーーーみたいな声が上がったのが忘れられません。特にあの目がいっちゃってるカット最高でしたね…。原作の安室セレクションみたいな編集版を買ったものの話がよくわからなかったので、ちゃんと原作を読みたいなと思っています…。
最初にあらすじとして紹介されてしまうトリプルフェイス関連は原作でそれが明かされるシーンがあるのだとしたらそこで驚きたかった気もするけど、知らずにいるのは難しかっただろうし出遅れた私が悪いのです…。

アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」 ★★★★

すごいよかった。私はトーニャ・ハーディングについて靴紐事件くらいしか知らなかったので、彼女が貧しい家庭環境で育ち、当時のスケート界においては異端であったということからして新鮮で、強烈な映画でした。
たとえば、見た目や出身のせいで正当な評価を得られない、ということに対して、くじけずに立ち向かっていく彼女は素直に応援したいなと思う。でも、肝心のスキャンダルに至る過程については自業自得なところも山ほど出てくるんですよね。例えば「この事件にはバカしか出てこない」って言葉がでてくるんだけど、ほんとみんなすぐカッとなって銃を持ち出して、しかも撃つ。そういうのが「当たり前」の世界で生きて来たということは、損得勘定の想像がつかないということでもあって。
その後の「現在」を知っている分、見てられないと思う場面もあったけれど、でも彼女がアメリカ人で初めてトリプルアクセルを成功させた女であることは未来永劫残るんだな、と思った。
特に素晴らしかったのは、批判の最中でリンクに向かう前の化粧をするシーン。世界に立ち向かうための儀式のようで、本当にせつなくてすばらしかった。
とはいえ、「実際の映像に似せた再現インタビュー」からはじまることでわかるように、この映画はフィクションだし、つまり最初から最後まで、観客が判断しなきゃいけない。それもこの事件を扱うにおいてはぴったりの手法だったのかなと思います。
マーゴット・ロビーは最高の最高。

「フロリダ・プロジェクト」 ★★★★

フロリダのモーテルを舞台にした「ドキュメント72時間」みたいな映画だと思いました。
主に描かれるのは、モーテルでその日暮らしを送る母娘の生活で、フロリダのファンタジック雰囲気もあいまって、一見平和なものに見えなくもないんだけど(真夏の魔法ってサブタイトルはどうなんだ)、途中からそれはやわらかな檻でしかないように思えてとてもしんどかった。
子どもたちは常に危険と隣あわせにいるように見えたし、そのことについて周囲の大人を褒められはしないのだけど、かと言って彼らが悪人でもないこともわかるし、でもどうやったらあの生活から抜け出せるんだろう(それはもう、彼女が改心するしかないんだけど、そのチャンスが来るんだろうか、とか)……と見終えてからも心にひっかかりつづけている。
特筆すべきは、あのラストシーンの素晴らしさ。私はあのシーンがくるまで、フロリダがそういうところだって忘れて見てたので見ていて余計にハッとしたし、ある意味「ミスト」みたいな幕切れだなと思った。
世界の攻略は難しい、けれど美しくもあるという話。

ピーターラビット」 ★★★

子どもの頃よくピーターラビットの絵本を読んでいたのでマクレガーさんの恐ろしさは知っていたし、一番の愛読書はこねこのトムがねずみの夫妻に「猫まき団子」にされる話だったため(今でも綿棒を見るとその話を思い出す)ピーターラビット映画がかなりのマッドマックスときいても驚きはしなかったのですけど、実際に見たら予想以上に狂っていました。
というか完全にピーターが一番の狂犬なので、若マクレガーは怒っていいです。

5月に見た映画は以上の4本でした。上半期はまだひと月ある!

ひげのサムエルのおはなし (ピーターラビットの絵本 14)

ひげのサムエルのおはなし (ピーターラビットの絵本 14)

車窓の風景

中学生の頃から大人になった今に至るまで、平日はほぼ毎朝、満員電車に乗っている。
学生時代は小田急線や京王線、そして今は総武線や中央線を使っていて、どちらも通勤時間帯ともなれば、満員であることに変わりはない。
乗車中は携帯電話を見ていたりもするけれど、エリアによっては身動きが取れないことも多く、そうなると娯楽は車窓の風景くらいのものである。
高い建物が連なる駅前から住宅街にかけて視界は開け、また駅が近づくにつれ建物が伸びていく。その波をぼんやりと眺めているうちに、幾つかのチェックポイントができるのはどの路線でも同じこと。

四角い建物の屋上に設えられた物干し台、フィットネスクラブのレトロな看板、人気のない飲み屋の裏口と大勢の人が一つの方向へと歩いて行く歩道橋、青い底を晒したプールには、あとひと月もすれば水が張られることだろう。

風景の中に時折、人の姿を見ることもある。マンションの廊下と並行して走る区間には住人が扉が開く瞬間があるし、自転車にまたがりこちらを見上げている人もいる。そして今週は、眼下に小さな公園を見下ろすエリアで、ブランコに乗る子どもとその脇に立つ父親の姿を見た。
有給なのかもしれないし、お母さんが働いているのかもしれない。幼稚園に行く途中かもしれないし、ブランコの乗り方を練習しているのかも。
様々な設定を脳内でこねまわしながら、次第に妄想は、彼らが何らかのトラブルに巻き込まれた際にアリバイを証言する様子へと転じていく。
5月23日の朝、8時15分頃中央線の車内から、私は確かにその2人を見ました。公園内に彼ら以外の人影はなく、だから他の目撃者はいないかもしれないけれど、勢いよくブランコを漕ぐ子を支えるように、父親がその手を泳がせていたのはよく見えて、
言葉にすればたったそれだけの事でも、彼らがあの時間にあそこにいたことだけは保証すると宣言しながら、私は勤め先のある駅へと吐き出される。

もちろん、おそらく彼らは事件に巻き込まれていないし、私が証言を求められることもないのだけれど
そうやっていつか何かを証言することを想定しながら車窓の風景を見ていると、物語の導入めいた場面はあちこちに転がっているものだなと思うのでした。

ついでに高校時代の車窓の話
ichinics.hatenadiary.com

うってつけの日

小学校の、確か4年とか5年とかの頃、よく友だちと「何歳まで生きたいか」という話をしていた。学校というのは折に触れて将来について考えさせられる場所だし、そういう時「いつ頃死ぬつもりで考えればいいんだろう」と想像するのはそれなりに自然なことだと思う。
「何歳まで生きたい?」
そう聞かれたときに答えていた年齢を私は今も覚えている。それは私の好きな数字で、実はわりともうすぐだ。

つい最近も、友人と「何歳まで生きたいか」という話になった。その時は、まだ知りたいことも見たいものもたくさんあるので、小学生のときに自分の「寿命」として意識していた年齢より、20年も長い年齢を答えた。
友人には「早すぎない?」と言われた。
そうかな? 最近読んだ本にも、人間の体はそれほど長生きできるようには作られていないと書いてあったし……なんて説明をしながら、でも自分には十分だとしても、身の回りの人となると話は別だよなと思った。
身勝手な考えだとは思うけれど、やはり好きな人は皆、自分より長生きをして欲しい。そんな風に、死にまつわる人の感情は矛盾していることが多い。

こんなことを書いているのは、最近仕事の関係で、いわゆる「死への準備教育」(人間らしい死を迎えるには…ということを子どもにどう教えるかという話)について調べていたからだ。
その流れで、長く終末期医療に携わっている先生に話を聞きに行ったりもした。
認知症の老人とうまく接するために重要なのは笑顔です、ミラーニューロンによって、人は笑顔で接してくる相手にはつい笑顔になってしまうものですから……なんて説明に頷きながら、自分もつい笑顔になってしまっていることに気づいた。認知症は病気というより加齢によって現れる症状の一種と捉えたほうが良いでしょう、実際に私の認知能力もかなり衰えてきましたし、と言われ、どう答えていいのかわからなかったけれど、そのときも先生は笑顔のままだった。

一通り仕事の話が終わったところで、「ご家族は?」と聞かれた。話の流れからいって、結婚しているのか、子どもはいるのか、ということであるのはわかったので「独り身です」と答えた。
すると先生は「世界は広いですし、未来には何があるかわかりませんよ」と言った。
午前中に降った雨が止んだばかりだった。障子越しの光が眩しくて、少し目を細める。未来か、と思った。歳を取るにつれ、まあある程度自分の未来について算段もついてくるようになったと思っていたけれど、
自分の倍以上生きている人にそう言われると、素直にそうだなあと思えるような気がした。
小学生の頃からずっと思っていた「このくらい」が変化したことも、きっと「未来は何があるかわからない」の範疇だったのだろう。
私たちは誰も、まだ死んだことがない。