中学生の頃から大人になった今に至るまで、平日はほぼ毎朝、満員電車に乗っている。
学生時代は小田急線や京王線、そして今は総武線や中央線を使っていて、どちらも通勤時間帯ともなれば、満員であることに変わりはない。
乗車中は携帯電話を見ていたりもするけれど、エリアによっては身動きが取れないことも多く、そうなると娯楽は車窓の風景くらいのものである。
高い建物が連なる駅前から住宅街にかけて視界は開け、また駅が近づくにつれ建物が伸びていく。その波をぼんやりと眺めているうちに、幾つかのチェックポイントができるのはどの路線でも同じこと。
四角い建物の屋上に設えられた物干し台、フィットネスクラブのレトロな看板、人気のない飲み屋の裏口と大勢の人が一つの方向へと歩いて行く歩道橋、青い底を晒したプールには、あとひと月もすれば水が張られることだろう。
風景の中に時折、人の姿を見ることもある。マンションの廊下と並行して走る区間には住人が扉が開く瞬間があるし、自転車にまたがりこちらを見上げている人もいる。そして今週は、眼下に小さな公園を見下ろすエリアで、ブランコに乗る子どもとその脇に立つ父親の姿を見た。
有給なのかもしれないし、お母さんが働いているのかもしれない。幼稚園に行く途中かもしれないし、ブランコの乗り方を練習しているのかも。
様々な設定を脳内でこねまわしながら、次第に妄想は、彼らが何らかのトラブルに巻き込まれた際にアリバイを証言する様子へと転じていく。
5月23日の朝、8時15分頃中央線の車内から、私は確かにその2人を見ました。公園内に彼ら以外の人影はなく、だから他の目撃者はいないかもしれないけれど、勢いよくブランコを漕ぐ子を支えるように、父親がその手を泳がせていたのはよく見えて、
言葉にすればたったそれだけの事でも、彼らがあの時間にあそこにいたことだけは保証すると宣言しながら、私は勤め先のある駅へと吐き出される。
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もちろん、おそらく彼らは事件に巻き込まれていないし、私が証言を求められることもないのだけれど
そうやっていつか何かを証言することを想定しながら車窓の風景を見ていると、物語の導入めいた場面はあちこちに転がっているものだなと思うのでした。
ついでに高校時代の車窓の話
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