小鳥について

先週、6月16日から、小鳥を飼い始めた。
種類は桜文鳥で、名前はソイ、フルネームはソイソース。最初は一番好きな調味料であるところのおしょうゆという名前にしようかなと思っていたのだけど、呼びにくいのでソイになった。
初日はケージの隅で固まっていたソイも、1週間経ってずいぶんと慣れてきたような気がする。


実家では私が小学校に上がった頃からずっと猫を飼っているので(現在も3匹いる)、私の小鳥に対する経験値は0だ。
幼稚園の頃、祖父母が短期間同居*1していたときに、文鳥セキセイインコがいた記憶があるけれど、彼らはいつのまにかいなくなっていた。逃げたり、近所の猫に襲われたり、という話も聞いたが、最終的に祖父母家に引き取られた鳥もいたはずだ。
それらの小鳥は、祖母が虫取り網で捕まえたなんて話も聞いた気がして、全ての詳細が明らかでないのだけれど、摘んだはこべをあげたことは覚えている。


新居はペット可物件だったため、家を決めた時から文鳥を飼うと心に決めていた。
調べてみると、引っ越し先の近くに、小鳥専門のペットショップがあることもわかり、その店のブログなどを読んで好感を持ち、そこで小鳥をみつけようという計画を立てていた。
本当なら引っ越してすぐに飼い始めたかったのだけれど、新型コロナ感染症の影響でそのお店も閉まっていたため、5月はひたすら文鳥の飼育書などを読んで過ごした。

6月に入り、ブログで再開のお知らせを見てすぐお店に向かったものの、
文鳥が生まれるのはだいたい9月以降と聞いていたので、今はいないかもしれないと半ば覚悟していた。セキセイインコも好きだからセキセイもいいな、でも初志貫徹で文鳥を待つべきか…なんてかなり悩みながらお店に向かった。
再開を心待ちにしていたその店は小鳥の声に溢れていて、整った店内の様子からも、小鳥たちがみな大事にされていることがわかった。だからこそなのだろう、30ほどあるケージのほとんどに、予約済のふだがついていた。
私の前にいたお客さんも「〜予約で埋まっていて」「何月頃に」「まだわからなくて」なんて話をしている。

きっと今日は無理だろう。無理だとして、ここで予約とかした方がいいのか、それとも別のお店に行ってみようか…なんて考えながら、しばらく離れがたい気持ちでケージを眺めていたところ、
5羽いた文鳥の中にひとつだけ、値札も予約済シールも貼られていないケージがあることに気がついた。ちょっとおっとりした感じの桜文鳥で、床に置かれた餌皿の餌をぼろぼろこぼしながら食べているのがかわいい。
もしかして、と期待しながら尋ねてみると、
生まれつき足が少し変形している子なので、まず説明をするために値札を貼っていないのだという。ただ、すでに健康診断は複数回受けており、足の状態も、健康面についても、問題はないとのことだった。

そんなわけで、その5か月の文鳥がうちにくることに決まった。その日はまだケージがなかったので迎えに来る日どりだけ決めて帰り、
大急ぎでケージその他諸々を注文し組み立て、6月16日がやってきた。
移動用キャリーを揺らさないよう、捧げ持って家に帰る。
恐る恐るキャリーに手を差し入れ、ごめんね〜と声をかけつつ、なんとか包むようにして捕まえ、ケージへと移動させた。
この時私は初めて小鳥に触った。すべすべで、求肥のようにやわらかく、手のひらに収まるほどの生き物だった。

その後、徐々にではあるけれど、日を追うごとに確実に慣れ、1週間が経った今は、扉をあければ自分から出てくるまでに成長した(すごい)。手のひらを差し出すと飛んでくるので嬉しい(えらい)。
小さな足が私の指先を捕まえる。最初はその冷たさに驚き、インターネットで慌てて検索するなどしたが、今は少し遊んでいれば、あたたかくなるものなのだということを理解した。
足があたたかくなると、腰を落ち着けてくつろぎはじめる。時折、くちばしを歯ぎしりみたいに鳴らすのは満足しているからなのだろうか。

うとうとしはじめると、指先にソイの心臓音を感じる。
こんなに小さな生き物に対して、私にどれだけのことができるのかわからないけれど、とりあえずソイのために少し早起きをするようにはなった。

朝、おはようと声をかけてもスルーだが、餌を入れる音は確実に聞き分けて歓迎してくれる。
満腹になると外に出たいとアピールをする。
外にでても、今のところはほとんど手のひらの上でキョロキョロかウトウトしている。野菜はまだ見慣れずこわいようだが、横たえた豆苗をいじりたおすのは楽しいみたいだ。
急がず、ゆっくり生きて欲しいと思う。
今朝は初めて手のひらの上で歌を歌った。

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*1:おそらく祖父母が家を建てている最中だったのだと思う

在宅勤務の終わりと皿洗い

4月後半から続いていた、隔日の在宅勤務がついに終わってしまう。
元々片付けが苦手なたちなのだけど、引っ越してからはずっと隔日在宅勤務生活であったため、こまめに部屋の掃除をする時間があり(気分転換にうろうろしたくなる)、私にしてはなかなか整頓された室内を保てていたように思う。
ここからが正念場である。

体力の低下を感じるので、その点も心配だ。
しばらく前から、この運動不足はまずいぞと思い、ヨガマットなど購入してストレッチやらしてみてはいるものの、週に5日も連続で外出するなんて、ちょっとした旅行に行くくらいの心構えが必要な気がしてしまう。

旅行といえば、本当なら3月には韓国にいくつもりでチケットをとっていて、6月も友人たちと旅行に行く予定を立てていた。4月にも1泊で会津若松に読書旅をしようかななんて考えていたし、それらが全て中止になってしまったのは寂しいことなのだけど、
ただ、この自粛期間中、不思議と閉じ込められていたような気はしていない。
1人で暮らしていると、そう行動を変える必要もないというか、変えても変えなくても、それに気づく人はいない。ので、家にいる時間については「いつも通り」だったし、家事をする時間がとれるので、むしろ少し快適なくらいだった。ただそこには、うっすらと不安がつきまとってもいる。

部屋を掃除したり、洗濯をしたり、皿洗いをするのは、埃のような不安を振り払うのに役立った。
例えば、皿洗いをしていると、それを買った場所のことを思い出すことができる。
一番新しいのは、この街の食器店で買った黒い皿だ。蚤の市で買ったボウルは朝食によく使う。日本酒用にしている札幌で買ったグラス、ユッカで使われていたスプーン(閉店セールで買った)、300円均一の店で買った箸、スペイン土産のマグカップ。えのき模様の白い椀はもういない友人のライブ会場で買ったものだ。
食器だけでなく、家を見渡しているだけで、いろんな場所のことを思い出すことができるので、買い物はできるだけ、あちこちでするのが良い。

そして、記憶にあるいろんな場所が、今もそのままの姿である保証はないことを思い出す。
また行きたいと思っていた店がいくつもなくなってしまった。
いつか行きたいと思っていた店が、なくなってしまった話もきいた。
最近は「いつか」がいつなのかわからない時間が続いていて、「いつか」と先延ばしできていたことは、とても贅沢だったのだなと思う。

まだ行ける場所は限られているけれど、行ける時にはすぐ動けるように、まずは体力を取り戻したい。ヨガマットはいい買い物でした。

オンライン母の日

母の日に何をあげようかときょうだいで相談しながら、こんな時なので当日はオンラインで顔見て話せたらいいねという話になり、
父母と同居している下の弟が色々取り計らってくれたおかげで無事、当日は昼前に皆で画面越しに会うことになった。正月は妹が夫方に帰省していたため、揃って会うのはずいぶんと久しぶりだ。
ようやく繋がったところで父が風呂に入ってしまい、変わらぬマイペースぶりにひとしきり笑ったが、同じくらいマイペースなのが上の弟で、繋がってはいるが長いこと画面には甥っ子しか映っておらず放置されていた。
実家に届いたプレゼントの鉢植えをこれから渡しますよ、というタイミングでようやく顔を見せたのだが、ものすごい寝癖で現れ、またひとしきり笑った。

妹の猫に挨拶をして、私は新居の案内をして、上の弟と甥っ子は庭の畑に出て、育っている野菜を見せてくれたりした。
実家の父母は弟が用意したパソコンの画面で見ているけれど、それ以外の、私と妹と上の弟は皆スマホの小さな画面越しだったというのに、
こうして思い返すと、母の日はみんなで甥っ子の畑を見たな、という感覚になれるのが面白い。なんとなく、手に触れた土の感覚まで思い出せるような気がする。
そう感じるのは、記憶を再生するための材料が画面以外にもたくさんあるからなのだろうか。それとも、材料がありすぎて、記憶がごちゃ混ぜになるからだろうか。

眠っているときに見た夢を、実際の記憶と混同するのに少し似ている。こないだ会ったような気がしたと思ったら夢に出てきたんだったな、とか、そういう感じに。
まだ知らないものをみるときに情報量が重い気がするのは、一から読み込んでるからなんだなと、新しい街を歩いていると思う。きっと久しぶりに会う人の様子も「重い」だろう。

変わったこと


引越しをして、台所が広くなったおかげで久しぶりに自炊が楽しい。作り置きのおかずを片付けると、これで次のものが作れるぞ、と思うくらいには楽しい。
今は週の半分が在宅勤務なので、仕事の合間に料理をするのが良い気分転換にもなっていて、大して運動もしてないのにきちんとお腹が空くのは不思議だけど、3食きちんと食べているおかげか、心なしか体調も良い。

せっかくなので、ホーローのタッパーをもう一つ買い足したいなと思ったものの、近所で売っている店は閉まっているし、ネットで買うにしても最近は注文してもいつになるかわからないものが多い(買おうとしたタッパーもそうだった)。
そもそも、些細なものを配達してもらうのは申し訳ない気もするし、それならまあ、あるもので済ませようかな、と思うことも増えた。

そんな生活も、あともう少しで終わるのかも知れない。ここ数ヶ月は、どう振る舞うのが正解なのかが刻一刻と変化していて混乱するけれど、きっと元通りではないとしても、きっと終わるのだろう。
今見えている問題はまだほんの一部で、終わったあとに明らかになることがたくさんあるのだろうし、それに対処するためにも早く動かなければならないとも思う。
ただ、不安も多いとは言え、生活のことに集中していられる時間が多いのは穏やかなことでもあった。

引っ越してからの出勤は毎朝座れている。だからまだこの最寄り駅からの混雑具合を知らなくて、余計にあの満員電車の日々のことが嘘のようだ。満員電車で有名(?)な小田急線育ちなので、満員電車に乗るコツは心を無にすることだよなんて言って笑っていたこともある。
けれど今は、感染リスクを抜きにしても、人と密着して通勤電車に乗るということは正気ではないように思えるし、想像するだけで億劫だ(少なくとも満員電車についてはあれが恋しい、と思う人の方が少ないだろう)。

家族や友人と会いづらかったり、外で食事をできなかったり、映画館にいけないのは寂しいけれど、そういうのは主に休日の出来事であって、
どのように働きたいかという形はこの数ヶ月でかなり変化した。この感覚が元に戻るのか、戻って欲しいのかはわからない。

Rちゃんの洗濯機

先日、友人の家に遊びに行った時……と言っても、新型コロナウイルスの騒ぎが起こる前のことなので、先日というには昔過ぎるように感じるのだけど、
ともかくその時に、かつて使っていた貰い物の冷蔵庫に名前をつけていた、という話を聞いた。そこから、初めて一人暮らしをした時、家財のほとんどは貰い物だったという話になって、
そういえば私も、初めて一人暮らしをする時、新たに買ったものは冷蔵庫とガスコンロ、そして机くらいのもので、そのほかはほとんど、貰うか実家から持っていったものだったなと思い出していた。

そしてその、貰い物の一つである洗濯機を先日の引っ越しの際、ついに買いかえることにした。

その洗濯機(名前はなかった)は、初めて一人暮らしをする、数年前にもらったものだった。
いわゆる氷河期世代であった私は大学卒業後、まずはアルバイト先に就職をし、その後しばらく契約社員生活をしながら週2コマの専門学校に通い、卒業後失業保険をもらいながら就職活動をして、どうにか初めての正社員になる…という過程に20代の半ばまでを費やした。
そうして初めての正社員(期限付きではない働き先、という意識だった)になった時、次に思いついたのは1人暮らしをすることだった。そしてその話をした時、ちょうど結婚を機に家電の処分を考えていたという契約社員時代の友人(というには今はもう疎遠になってしまった)であるRちゃんに、洗濯機を譲ってもらうことにしたのだった。
しかし、その初めての正社員時代はなかなかにきついもので(まあなんていうかブラックだった)、物件を2つくらいはみたものの、結局1人暮らしが決まるより先に転職を考えることになった。
そうして、Rちゃんにもらった洗濯機はしばらく、実家の玄関に鎮座することになった。玄関に洗濯機があるので、6人家族である我が家の入り口は当然、人1人が通れるかどうかという狭さになったのだが、よく皆文句を言わなかったものだと思う。気を使われていたのかもしれない。

ともかく、そんなわけでひたすらときメモGSなどをやりながら就職活動をし、次の勤め先を見つけ、1年ほど経ってここは長く勤められそうだと思ったところでようやく、再び1人暮らしをしようと思い立ったのだった。

約2年ほどの間、本来の役目を果たさず玄関に放置されていた洗濯機も、ようやく狭い台所のシンク横に設置され稼働し始めた。脱水の際に激しく揺れるので、慌てて抱きしめたこともある。そのうちに、少量で洗濯しなければさほど揺れないということを学習し、やがて私は彼女とうまく付き合えるようになった。

次の家は、洗濯機が外置きだった。
最初の家は19平米だった、ということを先日処分した書類で知ったのだけど、あまりにも物に埋もれすぎていて、そのうち「こんなところにもうひと部屋あった!」とぬか喜びする夢を見るようになり引越しを決めた。
そんなわけで、まず広さが優先、しかし家賃は上げたくない……ということで妥協したのが洗濯機の外置きだったのだ。
日当たりの良いベランダで、洗濯機は室内置きの頃よりも調子が良いようだった(おそらく下に敷いたクッションが良かった)。カバーをかけていたけれど、台風が来ればボロボロになり、年1回くらいでカバーを買い換えた。
ベランダに洗濯機があるというのは、洗濯物を干すには大変便利で、その生活もなかなか気に入っていたのだけど、

昨年の台風19号被害の頃だっただろうか。また洗濯機カバーがボロボロになり、また新しいのを買うか…とAmazonの注文履歴を確認していたところで、
ふと、そろそろ新しい洗濯機を買ってもいいような気がした。そして新しい洗濯機を置くなら室内置きができる部屋に引っ越すべきだと思い、諸々あり、今に至る。

引越し当日、洗濯機を取り外した業者の人は「これは相当年季入ってるっすね」といった。確かに、カバーが外れやすかった蓋のプラスチックは劣化していたが、カバーを外した本体部分はまだきれいじゃないか、と私は思った。
しかし、引取のためにいったん新居に運んでみると、それはやはり、相当年季が入っていた。もらった時ですでに5年くらいは使われていたはずだから、17年以上は使ったことになる。Rちゃんとはその間一度も会っていない。電子レンジをくれたKちゃんとも、もう5年くらい会っていない。

引越して翌日の朝、新しい洗濯機が届いた。白くてピカピカで乾燥までできて、洗い終わるとメロディが流れるのがかわいい。しかし私にしては相当高価な買い物であったため、まだ少しよそよそしい感じがする。
そして時折、料理の途中でガタガタ暴れる洗濯機をなだめたことを思い出す。台風の時、カバーが飛ばされていないか何度も確認したのを思い出す。蓋は劣化しているのに中は綺麗で、あのままもう10年くらいは使えたんじゃないかという気もする。
まだ使えるものを捨ててしまうのは申し訳ない。
せめて、新しい洗濯機も、そのくらい長く使えるよう大事にしようと思い、今日はフィルターの掃除をした。新しい洗濯機とも、少しだけ距離が縮まったような気がした。