オンライン母の日

母の日に何をあげようかときょうだいで相談しながら、こんな時なので当日はオンラインで顔見て話せたらいいねという話になり、
父母と同居している下の弟が色々取り計らってくれたおかげで無事、当日は昼前に皆で画面越しに会うことになった。正月は妹が夫方に帰省していたため、揃って会うのはずいぶんと久しぶりだ。
ようやく繋がったところで父が風呂に入ってしまい、変わらぬマイペースぶりにひとしきり笑ったが、同じくらいマイペースなのが上の弟で、繋がってはいるが長いこと画面には甥っ子しか映っておらず放置されていた。
実家に届いたプレゼントの鉢植えをこれから渡しますよ、というタイミングでようやく顔を見せたのだが、ものすごい寝癖で現れ、またひとしきり笑った。

妹の猫に挨拶をして、私は新居の案内をして、上の弟と甥っ子は庭の畑に出て、育っている野菜を見せてくれたりした。
実家の父母は弟が用意したパソコンの画面で見ているけれど、それ以外の、私と妹と上の弟は皆スマホの小さな画面越しだったというのに、
こうして思い返すと、母の日はみんなで甥っ子の畑を見たな、という感覚になれるのが面白い。なんとなく、手に触れた土の感覚まで思い出せるような気がする。
そう感じるのは、記憶を再生するための材料が画面以外にもたくさんあるからなのだろうか。それとも、材料がありすぎて、記憶がごちゃ混ぜになるからだろうか。

眠っているときに見た夢を、実際の記憶と混同するのに少し似ている。こないだ会ったような気がしたと思ったら夢に出てきたんだったな、とか、そういう感じに。
まだ知らないものをみるときに情報量が重い気がするのは、一から読み込んでるからなんだなと、新しい街を歩いていると思う。きっと久しぶりに会う人の様子も「重い」だろう。