「袋小路の男」/絲山秋子

袋小路の男

袋小路の男

「俺は本当にいろんななことを諦めているんだ」という言葉はエクスキューズに過ぎず、その言葉を発することで、彼はいろいろなものから逃げ回っている。例えば所有されること。何かを所有すること。自分の弱さを認めること。他人の弱さを引受けること。人生は辛いものだ、と考えること自体が未練がましく希望に満ちあふれていることだと考えているから、口元に皮肉な皺を浮かべ「別に/何も/期待していない」と発することで逃げる。しかしそうやって逃げ回るほどに彼は追いつめられて袋小路の奥にどんどん押し込められていく。
そこから見える出口には希望しかない。しかしその希望を失った時に、全てを失う気がして怖くて、彼はそこから出ていけない。
田切実にとって、日向子の存在はそのようなものであったはずだ。そうであってほしい。彼等はお互いを理解しているというよりはむしろ自分自身の一部としてお互いを受け入れていて、それはつまりアーリオ オーリオ星のようなものなのだ。自分の近くに見えていて欲しい、自分勝手な妄想によって作り上げられた光。でも希望ってそういうものだ。
予告された殺人の記録 (新潮文庫)
田切実をめぐる2篇のラストシーンで思いだしたのは、ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」でアンヘラ・ビカリオのところにバヤルド・サン・ロマンがやってくるところ。アンヘラ・ビカリオにとってそうであったように、日向子にとっての小田切もただたんに必然であったとしか思えない。
そしてそのアーリオ オーリオ星というのは、もう一編の「アーリオ オーリオ」に出てくるんだけど、このお話の読後感は池澤夏樹さんの「スティル・ライフ」の読後感にとても良く似ていました。スティル・ライフだけじゃなくてあれ一冊丸ごとの読後感。なんでかは後日確かめてみようと思う。あとラストにかけて「ほしのこえ」も思いだした。
「袋小路の男」「小田切実の言い分」の2篇と「アーリオ オーリオ」の印象は全く違うけど、とにかく私はこの人の書く話がすごい好きだなと思った。
「ほめられたい」という赤裸々かつ切実な小田切の台詞が作者の心情の一端をあらわしてるのなら私は褒めまくりたいと思う。暑苦しく。

 4/25ビッグコミックスピリッツ

ichinics2005-04-12
巻末の映画紹介で「ウィンブルドン」の写真 → を見て、キルスティン・ダンストヴァージン・スーサイズに出てたあのかわいこちゃんだということにやっと気付いた。遅過ぎる。髪の色で印象って変わるなあ。

「バンビーノ」
面白いけど話がまったく進まない。
「教師失格」
太宰みたいな秋田川龍之介という先生がでてくる柏木ハルコの読み切り。そういや柏木ハルコは「いぬ」の人だったんだと思いだした(笑)
団地ともお
ともおの世界にはほとんど中年がでてこないという事に気付いた。E気持ちがここでも。
20世紀少年
もう単行本じゃないと話についてけない。
「CB感」
そしてバイクに戻る。面白いし絵も素晴らしいんだけどバイク話になると全く分からない。
「じみへん」
シティ・ボーイズを見て思いだしたのはじみへんだったということに気付いた。

 来てるな未来!

つまり、”GyaO”は、「個人のタイムマネジメント」に合わせて利用(視聴)できる、パソコンで見る完全無料ブロードバンド放送なのです。
http://www.gyao.jp/

わーいすごーい。クリィーミーマミやってるよ。マミで育ったと言っても過言ではない私にはめちゃめちゃ嬉しい。今見るとトシオ全然かっこよくないな。小さい頃よくマミのステッキ及びタンバリンがある日突然家に届く夢とか見たな。隣の家の子がマミステッキ持ってたのがうらやましすぎて気が狂いそうになったな。今でもなにも見ないで描けるキャラクターはマミだけだ。カラオケでもしょっちゅう歌うけど「好きと嫌いだけで普通がないの」って歌詞の意味は未だに謎。普通たくさんだよ。
マミといえば確か講談社のキャロットって雑誌で漫画もやってたけどあっというまに廃刊になっちゃったのは幼心に世間の不可解さ&厳しさを感じた出来事だった。覚えてる人いるかな?