シュガーな俺/平山瑞穂

シュガーな俺

シュガーな俺

平山瑞穂さんの本を読むのは「ラスマンチャス通信」以来。「黒いシミ通信」時代に新作情報など見ていたのに、なんだか機会を逸してしまい、やっと手に取ったのがこの「シュガーな俺」でした。
この作品は平山さん自身の体験に基づいて書かれた「糖尿病小説」。電子書籍@niftyで連載されてたものです。
正直なところ、「ラスマンチャス通信」のイメージとはずいぶん違ったので、最初はめんくらいました。けど、読んでいるといつのまにか食事に気をつけていたり、無性にお酒が飲みたくなったりして、この切実なリアリティは、やはり体験に基づいているからこそなのだろうな、と思う。その文体にも、誰かの日記を(平山さんのブログというわけではなく)読んでいるような、手触りがあって、それはもしかしたら横書きの媒体で連載されたからなのかなあとか思った。

関係ないですが、知り合いにシュガーというあだ名の人がいたので、読む前は、佐藤さんの話かと思ってた。

 醒めるまで

落ちる夢を最近見ないでしょう、それは大人になったからなんだよとあの人はいったけれど、ふうん、と相づちをうつ、私は今朝も落ちる夢をみた。
手すりに捕まりながら、下の暗闇をみないように、息をきらしながら錆びた非常階段をのぼる。手が滑る。手のひらの汗を拭おうと、すっかり鉄臭くなった手を手すりからはなした瞬間、足下が落ちる。目が覚めた私は、ふくらはぎをさすりながら、破傷風のことを考えている。落ちる時、わたしは錆びた破片に触れなかっただろうか。気になって、ふと手のひらを見てみると、そこには傷ひとつなく乾いていて、ああそうかあれは夢だったのかと思う。ただふくらはぎだけが夢を現実のものとして受けとめ、緊張を解くことができないでいる。
足が痛いからもう歩けない、と枕に顔を埋め、落下の感覚を反すうする。落ちるような気もするし、びくともしない気もする。なにしたかったか忘れて、沈みかけた瞬間、名残をおしんでいた眠気が顔をだし、浮力となって漕ぎ出せば、もう階段は遠い。それは大人になったからなんだよ、とあの人がいう、夢を見た。