いろんな

休み中、地元の、小学校の時の友人2人にあった。会うのは約1年ぶり。
そのうちの1人の友人は5年ほど前に子供が出来て、結婚しているんだけど、つい最近もう1人子供ができて、やっと安定期に入った所というので、久しぶりに会うことになった。
私たちの間には、もうほとんど共通の話題というものがなくなっているのだけれど、共通の話題がない、といっても会話がつまらなかったというのではなくて、子供がいる友人は当然の事ながら子供を育てることや幼稚園の選び方、地元にいる、かつての同級生たちの話題にとても詳しく、そういう話題に疎い私たちにいろんな話をきかせてくれた。
その反面、彼女は、しきりに自分も仕事をしてみたかったと言っていて、確かにその気持ちはなんとなくわかるのだけど、子供がいる、ということを知らない私ともう1人の友人には、なんともいうことが出来なかった。
彼女はつい最近パソコンを買ったらしく、まずキーボードに慣れたいと言っていたので、メッセとか、まあブログとか、そういうので毎日パソコンに向かうとあっという間に慣れるんじゃない、と言ってみたら、メッセもブログも通じなかった。私自身もよくわからないでこうして使ってるけど、そういうのを1から覚えるのって、想像しただけでかなりめんどくさいだろうなあと思う。そして、パソコンとかを前にして、うーん、と思ってる時に、大学出てすぐ結婚、出産というんじゃない人生もあったのに、とか考えちゃうのかなとか思ったりした。それは自分が得ているものについて客観的に見るのが難しいからとも言えるけど、とにかく、彼女は「何かしたい」という気持ちがあるのに、それができない状況にちょっといらだってるみたいだった。その感じは、私にもよくわかる。
うまく言えないけど、その話をしてるときに、経験が積み重なって現在が出来上がっていくというのをすごく感じて、あとどれくらいの選択肢を選ぶことが出来るのか、それを考える時って同時に、もう引き返せないということも考えて、だから不安になったりするんだろうな、と思ったりした。
でも「もう子供がいないという状況は想像できないし」と彼女が言っていたように、様々な選択肢とか偶然とかによって、出来上がってる今を続けてくしかないのは皆同じだ。だから、いろいろああすればよかったとかこうしたかったとか話してるうちにでてくる「やりたいこと」を忘れないようにちゃんとやろうと思ったりした。
帰ってきてから、早速メッセ用のアドレスを交換する。関係ないけど、その時はじめて、MSNチャットがなくなったっていうのを知っておどろいた。