モチベーション保つ才能

羽生善治さんの「決断力」という本に対して書かれた橋本大也さんの感想から派生してまとめられたこちらの文章が興味深かった。

ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる
http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/networkworldranking.html

この記事を読んで、前*1 に「大きな(そして狭い)世界というのはかつて社会に出て初めて目の当たりにするものだったかもしれないけれど、それが幼い頃から当たり前のように存在している感じ、」と書いたとき考えてたことにちょっと近いかもしれないと思った。近いんだけど、ちょっとずれる。
「全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられている」という意識は想像してみると確かに嫌だ。でもそれは「モチベーションを持ちにくくなる」というよりは「あきらめる口実」になるんじゃないかと思う。「親に友達と比べられる」なんてのも嫌だけど、前者の場合はもっと個人的な実感に結びつくものだ。だからこそ、羽生さんの言う

報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。

という言葉にはとても納得出来る。報われなくても、やりたいことがあるってのは大事だよな。なんてちょっと正論すぎるけど。
ただ、私が前に〈「自分嫌い」な子供たち〉という記事に対して思ったことは、ランキングとかを意識するよりも前に、いろんなものが見え過ぎて「自分が」やるべきことを見つけ辛い世界になってるんじゃないかなぁということだった。むしろそうやっていろいろなものを比べてみせるから(勝ち組とか負け組とかそういうのもそうだ)評価されるよりも前に評価されることから逃げたくなっちゃうんじゃないのかなぁとか思ったんだった。でもそうやって逃げてまわりながらでも捨てられないものを見つけられたら良いなと思いますよ。たとえば「美味しいものたべたい」から「そのためにとにかく働こう」とかそういうのも素敵だと思う。
そして、ある低度やりたいことが見えている人は、とにかくやればいい。自分はこれをやるっていう目標があると、すごい人たちのことも素直にすごいなーと思えるんじゃないかと思う。それでランキングとか気にしちゃってやめちゃうならそれまでの事だ。負けるのがわかってても楽しいからやりたいことってのはたくさんあるだろうし、それこそ「報われないかもしれない」のに継続することができたなら、それも才能で、誇れることなんだから。っていうことを、ずっと前にある小説家の人が「あきらめるのも才能だ」と言っているのを聞いて思ったんだった。
世渡りの上手さで自分より評価されてる奴に腹立つ、とかそういうこともあるかもしれないけど、それはたまたまその人が自分より自己アピール力に長けてたってだけのことだ。「でも俺は自分の喰いたいものを喰っている」ってだけでいいじゃんって思ってんだよってことで自己満足するんでもいいじゃん。
 *
と、なんだか他人事みたいに書いちゃったけど、自分に置きかえて考えてみると、負けても気にならない、ランキング的なものも気にならないものって、単純に好きなものか、全く興味ないものかのどちらかな気がするな。
私はゲーム好きだけど、あれは自分でもへたくそなの分かってるからランキングなんてまったくもって気にならないし。自分の目標(クリアとか)を達成すれば満足できるもんね。

追加

上の記事のコメント欄で知った文章が良かった。

考える量よりも、手を動かす量を増やす。
十分な回答でないが、一番マシな回答かと思う。
「達成することの喜び」だけを求めるのではなく、「手を動かすこと自体の喜び」を取り戻すこと。
いきなり小畑センセイより絵が上手くなるわけがない。でも、それは手を動かすことに意味がないことにはならない。
「自分を救う」ポリシーは、多分そんなもんだ。
楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseekより