- 作者: シオドア・スタージョン,矢野徹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/10
- メディア: 文庫
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物語は3つの章に別れていて、あとがきによると、これは最初に書かれた中篇「赤ん坊は三つ」に前後を付け足すような形で書かれたものらしい。確かに、1つ1つの章を独立した中篇として読むこともできるのだけど、その内容は複雑に絡み合っていて、なんだか人の頭の中を覗いているような感覚。なので、もう2、3回読まないとこの本の全体像は掴めないような気もするんだけど、それでも読み進めるうちに時として場面の隙間からフラッシュバックのように甦って像を結ぶ瞬間があって、なんだか興奮する。楽しい。スタージョンの本を読むのは幸せだ。
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この「人間以上」は、新しい種族として「集団有機体(ホモ・ゲシュタルト)」が生まれ、成長していく物語。彼らは5人で単一の生き物として存在しているのだけれど、彼ら(そして彼らそれぞれ)の抱えている「孤独」は今まで読んできたスタージョン作品における主題とも通じているといえるだろう。例えば冒頭のエヴェリンとローンの遭遇するシーンなどは、スタージョンが繰り返し描いていた「不思議のひと触れ」の物語だと読める。
また、この集団が何をするのか、という物語ではなくて、「それぞれ」が「集団」となるまでに重心がおかれているところがスタージョンらしく(と言ってしまって良いのかわからないけど)そのあたりにこの作家の特性があるような気がする。
いろいろ気になるところはあったのだけど、最後の章で描かれる、形成された「集団」が、人類と共存するための折り合いを模索していく様は、昨日みた映画や今の社会について重ねて考えることのできる箇所で、印象に残った。それはこんなシーンでのことだ。
何をするのも可能であるその「集団」はやがて「世界を支配するほどの力を持った躁鬱病患者」(p328)となり、やがて「恐ろしい子ども」として力をふるうようになってしまう。そこで「人類」であるバロウズが、「集団人」の頭と向き合うために、自問自答を行う。
それによって個人がおのれの種を助けてゆくように生きていく慣例や一連の規律には、名前がなければいけない。道徳よりも上にある何物かなのだ。
それを仮に品性(イーソス)と定義しよう。(p352)
それは服従よりも、むしろ信頼を求めるおきてなのだ。(p364)
スタージョンの作品を読んでいて、面白いなと思うのは、こんなふうに作者自身が葛藤しながら自らの論理を生み出そうとしている過程が見えるような気がするからかもしれない。
かなり面白かったです。暫くねかせて、また読む。次はヴィーナスプラスX読むつもり。