「宇宙 日本 世田谷」/Fishmans

宇宙 日本 世田谷

宇宙 日本 世田谷

フィッシュマンズの音楽は自分の記憶と切り離すことの出来ない存在として、もうずっと長いこと傍にあるので、どの曲が好きとかどのアルバムがいいとかはもう選べないのだけど、でも、最もアルバムという単位で記憶と結びついているアルバムは、この「宇宙 日本 世田谷」かもしれない。
個人的なことですが、私は生まれも育ちも世田谷で、だからかより一層このアルバムタイトルはそのまんま、顕微鏡で宇宙から覗き込まれた自分自身の部屋の中のような映像を思い起こさせるものだったりします。

「POKKA POKKA」

そんな風にして自分自身を外側から覗き込んで、そこにあるのが夜だ、ということに気付かされるような曲。少しづつ、少しづつ眠ってる人に近づいていくような感じ。そんでもって「ぼんやりしてればいいことありそうな/気もするし気もしないしわからないけど」と不器用な慰め方をしているような気分になる。この一曲で、もう私はその部屋の中にちゃんと取り込まれてしまうような、素晴らしい1曲目。

「WEATHER REPORT」

一転して、この曲では「水槽の中」から宇宙を眺めているような気分になる。どんどん移り変わって行くものの中に、自分だけ立ち止まっているような。プラネタリウムで、空がどんどん動いて季節が変わって行くのを見るのに似てるかもしれないな。音としては、このアルバムから先のフィッシュマンズに繋がる一歩に思える。

「うしろ姿」

メトロノームのような音が気持ち良い。けどちょっと不安になる。フィッシュマンズ「らしい」曲ではないと思うけど、フィッシュマンズと比較されることも多い(多かった?)キセルはこの音階の感じに近いなぁと思う。マイナーなのに暗くない感じ。

「IN THE FLIGHT」

この曲は私にとってとても大事で大好きな曲なのだけど、そのことを言うたびに(しつこいくらい言っているけど)少しだけ後ろめたい気持ちになる。ドアをあけるところから始まる曲なのに、同時にドアの外で、その部屋の中がからっぽであることを思っている曲で、私はそこに、どうしても諦めへの憧れみたいなものを感じとってしまう。ぜーんぶ、おしまい。そんで飛んで行っちゃう何か。そんな寂しさを感じながらも、この曲は笑っているなぁと思うのだ。泣いてない。その笑顔の中に、何か救いのようなものを探しちゃったりする。そしてそれは、この曲の中にあるほんとの気持ちを理解できなくても、同じ一枚のドアを隔てているだけだということを、悲しいと思うか嬉しいと思うか、じゃないかなと思う。

「MAGIC LOVE」

そうやって、最終的には1人でも「つながりはいつもそこさ/心ふるわす瞬間さ」という言葉に、頷いてしまったりするのが、この曲。夜中に嬉しかったこと何度も何度も思いだすのに似てる。大好きな曲。

「バックビートにのっかって」

この曲を聞いていると、深夜の散歩に行きたくなる。いろんなことを思いだして、不安はたくさんあるけど、その不安ばかり見ててもダメなのはわかっていて、ちょっと空を見上げると「世田谷の空はとても狭くて/弾け出すにはなにか足りない」。それでも、音楽に乗って、いつのまにか明日の前に帰ってくる。そんな風景。聞き終えた後も音楽が耳のなかで波打っているような気がする。

「WALKING IN THE RHYTHM」

この曲もまた、深夜の街を歩いている感じなのだけど、そこは自分の場所でなくて、どこか新しい場所のような感じがする。そこには自分以外の誰かがいて、それは「いつかの君」かもしれないし「いつかの自分」かもしれない。そしてそれは全部、夢の中のことかもしれない。街を抜けて、真っ暗な路をまだひたすら歩く。そんで朝になった。

「DAY DREAM」

フィッシュマンズには夕暮れをおもわせる曲がいくつかあるけれど、その中でもこれは一番暗い、夜に近い夕暮れのような気がする。外側から見てたもう1人の自分に対しての曲のようにも思えるし、その自分に寄り添って、一緒に膝を抱えて座っているような気もするし、でもどうしても一つにはなれなかったってことを、遠くから思いだしているようにも感じる。

死ぬほど楽しい/毎日なんて/まっぴらゴメンだよ
暗い顔して/2人でいっしょに/雲でもみていたい

 *
なんだか過剰に感傷的な文章ばかりになってしまったけど、やっぱりフィッシュマンズの曲たちは、自分の中の、ほんとに扱いづらい部分と一緒にある音楽なんだと思う。「小さな思いがかけまわって/ひとりでそうかとうなづくんだ」というMAGIC LOVEの歌詞そのまんまの状態みたいに。