ラストデイズ

ichinics2006-03-20
監督:ガス・ヴァン・サント

カート・コバーンをモデルとした、ブレイクというミュージシャンが自殺に至るまでの二日間を描いた作品。
彼が亡くなったというニュースを聞いたとき、私は高校生だったと思う。監督も触れていたけれど、リヴァー・フェニックスの死と重なったことをよく覚えている。
私は特に熱心なニルヴァーナファンではないけれど、ロックの歴史、というものが仮にあるならば、重要なポイントとしてエルヴィス、ビートルズに次いでニルヴァーナの名前を挙げるだろうなとは思う。それはいろんな情報の刷り込みかもしれないけれど、それほど圧倒的な存在だった、と記憶している。
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この映画は、ブレイクがリハビリ施設を抜け出してくるところからはじまる。
家に辿り着いてからのブレイクは、なかなか一人にはなれない。家には住み着いている誰かがいて、電話が鳴り、人が訪ねてくる。彼は離れの温室に籠る。そこで行われる自問、それは例えば文章を書くことだったり、は、途切れがちだ。焦点があわない。
例えば、電話帳の広告セールスマンがやってくる場面。彼とブレイクの会話はまったく噛み合ないまま、セールスマンによる一方的な了解のポーズをもって断ち切られる。それと対比させるようにして描かれる、モルモン教徒の相手をする居候たちの場面。居候たちは「話をきいているふりをする」。その居候たちの行動は、ブレイクへの態度にも通じている。(それらの場面を、視点を移動しながら見せるやり方(編集方法)はとても興味深かった。)つまり、ひとりにはなれないブレイクは、でもやっぱり、だれともコミュニケートしていないという意味で、ひとりなのだ。
ブレイクにとって、何が必要だったのか、私にはよくわからない。ただ、この映画は、監督がカート・コバーンという人の最期の日々を、自らの中に映して、想像したものなのだろうと思う。
その想像が真摯なものだからこそ、そこに見える役者(マイケル・ピット)の自問とともに沈んでいく様子にはリアリティがあり、ああ、こんなふうにして沈んでいくことに抵抗しなく/できなくなってしまったら、そしてそんな状況で、自問に対する答えを見てしまったら、もうだめかも、と思った。
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ただ、映画として、あそこに歌をもってこなきゃいけなかったのは理解できるのだけど、あの歌、マイケル・ピットの歌も、良いと思ったのだけど、あそこであの歌詞はあまりにも客観的ではないかと思った。ああいう瞬間を言葉にするのはむずかしいだろうってのはわかるけど、ちょっと違和感が残る。
なんだか凹む映画だったけど、エレファント以降の作品はみんな好きだな。