アイドル

誰しも青年期に独自の「神」(アイドル)を持つ。ニーチェの場合ショーペンハウアーワーグナーがそれであった。『ニーチェ入門』p28

誰しも、というからには私にもアイドルというか神はいたはずなんだろうけど、その感覚がよくわからない。ここら辺が、最近ちょっとずれてるのかなぁ、と思うとこでもあったりして、少しひっかかってる。前にもちょっと書いた*1けど、例えば、私がある「小説」をすばらしい、すごい、出会えて良かった、一字一句記憶したい、と思うことがあったとしても、それと作者を同一線上に感じるということはあんまりない。だから、すごい嫌いな人が描いた絵をすばらしい、これこそまさに私が求めていたものだと思うこともあるだろうと思うし、好きな人が書いてるものがつまんなくてもその人を見損なうわけじゃない。
まあ、往々にして好きなものは好きな人によって生み出されている確率が高いんだろうとは思うし、それを確認できる範囲では高確率だし、「作者」を感じさせる作品を作者と同一にとらえることを自分に許してる気もするけど、それを「神」と言い表すなんてちょっとただごとではない。
好きになるというのは良いとこも悪いとこも好きに凌駕されるということで、全肯定したいくらい好きな存在ってのは私にもあるけれど、でもそれは「神」とは違うし、ここでいわれている「神」とも違うだろう。もしくは啓示といえるようなひらめきというか、受け取る体験のことかもしれないけど、それも、別にアイドルからもたらされるもの、というわけでもなく、むしろ不意に道ばたで出くわしたりするものなんじゃないかなって思う。
でもこれは、それを知っている人には、お前はなにもわかってない、と言われるようなことなのかもしれない。ちょっとくやしい。

*1:id:ichinics:20060207:p3