「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」/本谷有希子

読み終えた瞬間、思わず「すげー」とつぶやいてしまうような、勢いのある小説でした。構成とか、小物とか、やっぱり舞台っぽいなと思ったら、これが「劇団、本谷有希子」の第一回公演作品だったらしい。しかし小説用に大幅改編されているとのことで、舞台版のあらすじなどを見た限りでも*1、かなり違っています。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

東京へ出ていた姉、澄伽が、両親の葬儀に帰省してくるところから物語ははじまり、狂いはじめる。なぜ彼等は澄伽を恐れるのか、そして澄伽はなぜ東京へ戻らないのか。それらの謎が、少しずつ明かされていく過程で、同時にそれぞれの登場人物たちの個性というか、輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。
最も明確に対比されているのは、澄伽と義理の姉、待子だろう。
「あたしは特別な人間だ」と確信し、その美貌を武器にのし上がろうとする姉はひたすら鬱陶しいが、同時に「観察される」対象でもある。
逆に待子は生まれてこの方不運続きなのだが、全てを諦めながらも、どこか前向きである。
堕ちていく者と最初から堕ちている者、そして第三者として居る「観客」の残酷さ。その3箇所から描かれる力強い線が交差する様はまるでキャットファイトだ(そんないい方していいのか)。
視点が予告なく移る場面が多いので少し読みづらいことと、言葉の重ね方がスピード感を損なっているという難点はあるものの、爽快さすら感じさせる幕切れのせいか、読後感は充実していた。プロットにはテクニック、文章には力技を感じる、といったら偉そうだけども、とにかく面白かった。

しかし、この作品において、もっとも効果的だった演出は装丁に山本直樹を起用したことではないだろうか。ほんと、装丁のイメージ通りの作品で、さらに装丁がイメージを膨らませてもいる。

映画化も

本谷有希子さんの、芥川賞候補作「生きてるだけで、愛。」が映画化されるそうです。こちら(http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20060709-57806.htmlに載っているあらすじを見ると、「腑抜け〜」と設定が似ているな。
映画化されるのは「腑抜け〜」でした。そりゃにてるはずだ…。