太陽 The SUN

監督:アレクサンドル・ソクーロフ

1945年、第二次世界大戦集結間近の昭和天皇を、歴史としてではなく、「神」として生きた一人の人間の日常として描いた作品。

とても美しい画面だった。すべてのカット、その構図と、カメラのとらえるひとつひとつの仕草まで、味わい深い色をしていた。そしてそのほとんどの場面に、イッセー尾形演じる昭和天皇がいるのだけれど、彼の立ち居振る舞い、特にその表情、か細い声、言葉が重なりあう様には目を奪われた。その空間において圧倒的であるということと、慎ましく上品であるということが、同居している。
しかし「現人神」として生きるということは、どういうことなのだろうか。
冒頭の場面ですでに、彼は自らが人間であることを自明のことととらえている。「私の体も同じだ、君のとね」と侍従長に言ったあとで「怒るな、まあいわば…冗談だ」と笑ってみせる。
私の記憶する昭和天皇は、崩御のニュースだけのような気がするので、恥ずかしながら戦時中における天皇の存在が、どのようなものだったのか、想像することすら難しい。映画の中に、天皇を尊敬する日系の米軍兵がでてくるのだけれど、彼もまた天皇を「神の子孫だ、政治家ではない」と言う。私にはその感覚が、理解できない。
しかし、海洋生物の研究をしている場面のうれしそうな表情や、写真撮影に応じる際に見せる彼のチャーミングさと、米国大使館へと向かう車に乗り込む天皇の心細げな表情とのコントラストには、心をうつものがある。窓の外に広がる焼け野が原は、まさしく「神のために」戦ったものたちが犠牲となった証なのだ。そしてその神とは自分のことなのだ。
ラストシーンでもう一度、その逡巡の構図が再現される。しかし、そこでの彼は、すでに運命を拒絶した後なのだった。ここでのやりとりは、この映画のなかでも特に素晴らしい。

映画館は大入り満員だった。銀座シネパトスの、二つのスクリーンで上映されているにもかかわらず、行列ができていた。しかし、残念ながらシネパトスはこの映画の上映に向いていないと思う。とても静かな映画なので、近くを走る電車の音がうるさく響いてしまうのだ。もし別の映画館でも上映されることになったら、もう一度見なおしたい。
それから、見にきている人もいろいろだった。とにかく、とても静かな映画なので、映画中におしゃべりしている人がいる回にあたると、残念としかいいようがない。似てるわねぇ、とか、そんなことは映画が終わってから話し合ってくれればいいのにね、と思う。それから、歴史について語り合っていた若者もいたけれど、これも、映画が終わってから、やってくれと思った。
それも全て、今なお天皇という存在が、日本人にとって興味深いものであるということなのだろう。森達也さんが今上天皇についてのドキュメンタリーを撮る、といっていたのも、楽しみにしているのだけど、もちろん、そういうものとも、この「太陽」は違う。

これは芸術作品ですから、資料や歴史的事実に依拠してはいても、ここに現れた天皇の人間像というのは私が考えたものなんです。もしかしたら実際の人間とは違うかもしれない。
http://www.cinematopics.com/cinema/topics/topics.php?number=877