やることリストと視覚と錯覚

毎朝、仕事前に「今日やることのリスト」をつくるのは、やることを忘れないためというよりは、やったことを消すため、という意味合いのがおおきい。忘れないためのものは他にもいろいろあるけど、それには大まかな目的のほうが書いてあって、やることリストにはほんとに瑣末な、たとえば送らなくてはならないメールのあて先を、羅列してあったりする。
なんでそんなことをするかといえば、こなした量を目で確認したいからだよなと思う。真っ黒だったリストが赤線でうまっていくのがうれしい。

そういえば、この前、たまたまつけたテレビで、インタビューされてた人が(お医者さんだった)「これがスケジュール帳で」と、真っ黒に塗りつぶされたノートを開いてみせていた。つまり、やることリストをノートに書き付けて、おわったものは黒く塗れというわけらしい。
「この頃はかなり燃えてましたね」と、真っ黒なページを指していう。ボールペンでぐりぐり塗りつぶされているので、テレビのこちらがわからも、紙がよれよれになってるのがわかる。

それを見ていて、ああ、そうか、やることリストを消して行くのには、頭の中で、とめおかれてる事項を消去していく,ちょっと大げさだけど「儀式」の役割もあるのだなと思った。見えないものを見える形に描き出し、消す。その作業を目で確認することで、頭からも消える。
それはたとえば、オレンジ色の砂糖水がオレンジジュースに感じられるとか、そういう錯覚とおなじようなものなのかもしれない。「視覚」からのインプットって、他の経路より直接繋がる感じがして面白い。意識より先にある感じがする。