その続き

先日、紆余曲折あって高校生と話をすることになった。遠くの学校まで行って、事務室に挨拶をして、校内に入る。先生と打ち合わせたあと高校生たちと話をする段取りになっていた。
校内に足を踏み入れた瞬間、自分の体が、ぐっと重くなったような気がしてひるむ。そこが私の通っていた高校というわけではないのだけど、学校特有の空気ははっきりと感じられたし、だからこそ、それがもう私になじまないということに、今さら気付かされてしまった。誰もいない渡り廊下から見える校門には警備員の人の背中が雨に煙っていて、その向こうを車が通り過ぎていく。たとえば「リンダリンダリンダ」という映画の中にあった雨の校舎は、私がそこにいたときの学校と重ねあわせることができたのに、この場所にいる私はあきらかに今で、これから大人として、高校生と話をしなくちゃいけないなんて、何か悪い冗談のように思えた。
好奇心に満ちた目は、私を霞めるだけでちゃんと見ない。先生越しに、「ねえ今日この人が話するの」みたいなことを問う。その照れ隠しのような態度は、この場所と解け合って柔らかい。
もし私が彼らだったら、きっと私は生まれたときから大人のように見えるのだろうし、別れればきっとすぐに忘れるだろう。それよりも大切な、クラスメイトとのやりとりや持ち物や放課後に、すぐに埋め尽くされるだろう。
そんなことを思いながら、ああそうか、あの頃の自分はそんな風に大人を見ていたのだと思った。学校の外で会うのとはちょっと違う、学校にいる大人は、なんというか出来上がりのような気がしてた。そして今さらながらに、結局、年をとっても出来上がりにはならないんだなということを、思う。
それが申し訳ないような、可笑しいような気分で、教室を後にする。校門を出た瞬間、思わず足取りが軽くなったのは、なんでか考えない。