寝言ポエム!

はじめての寝言は生まれて三年たったある嵐の日のことだった、というのを生まれて六年ほどたった頃、母親から聞かされた。生まれて三年の私は、まだひとりっこだった。妹が生まれたのはそこから五年ほど経った頃で、さらに十五年ほど過ぎたあたりから、現在に至るまで南の角部屋で暮らしている。
その部屋に、三歳の頃の私は眠っていた。ひとりで眠っていたわけではないと思う。なにしろ生まれて三年だ。なにかと手のかかる頃だろうし、その、はじめての寝言をきかれていた、ということが、部屋には母もいたことの証拠になるのではないか。きっと夏だ。タオルケットをかけ、自分の息でしめった枕にほほを埋めて、眠っていた、その光景を、私は自分の眼で見たかのように思い出すことができる。外は嵐だった。
しかし、うつぶせでしか眠れない子だった、というのもいつだったか母親から聞かされた話だし、そもそも私がほんとうに、その寝言をいったのかどうか、確かめるすべはない。
私が思い描くその部屋の暗さ、ぼんやりと光るうすい茶のタオルケット、窓の外の風の音、そういった「記憶」のようなものたちは、その部屋に私がいたという保証にはならない。むしろそれを疑わせるものだ。
たとえばその部屋に眠っているこどもの顔は、いつか見た妹の寝顔ではないのか。
たとえばそのタオルケット。うすい茶のそれは、六年前の夏に、バスローブとセットでもらったものじゃないのか。バスローブはほとんど使わないまま、どこかへやってしまったけれど、タオルケットはずっと愛用していて、夏はあれがいちばん気持ちいいと、今も気に入っているのにそろそろそのふくよかさのなくなってきたあれ。でもいつ、どうやってこれをもらったのかというのは忘れてしまった。そういうことになっているし、ちらちらと、明滅するその記憶も、わたしのものだという保証はない。
ただ、どれも夏だった、と信じるその理由は、わたしの記憶が、夏からはじまっているからだ。
でも、ともう1人が言う。わたしが夏に生まれたということを、知っているのは誰なのか。その情報は信頼できるのか。そもそも信頼できる情報とは何なのか、記憶か、その記憶とは誰の記憶なのか。
ともかく。
「風が怒っているよ」と私はいったらしい。
それは生まれて三年たったある嵐の日のことで、そばに寝そべっていた母は、それをきいて腹筋が吊るほど笑ったという。何がそんなにおかしいのか、わからないけれど、たぶんきっと箸がころげても可笑しい年頃だったのだと思う。いつかのわたしのように。
そしていまのわたしというのもまた、寝言ポエム派閥である。照れくささを克服し、いつか、日の高いうちから、堂々とポエムを綴れるようになりたいものだと思う。
日々研鑽を積んでいるつもりだが、厄介なのは自分たちだ。あれこれとうるさいしすぐ日和る。それでもまあ、きっとうまくやれるだろう。なにしろぜんぶわたしなのだから。
なつふとん かけてねむった あらしのひ それがわたしの ポエム記念日
かしこ