記憶と日記

見たもの聞いたもの読んだものの感想を書きたくなるのは記憶の受け皿がザルだから、ということを前に書いたことがある(id:ichinics:20061205:p3)のですが、そんなふうに私の感想というのは少なくみつもっても6.5割くらいは自分の記憶のためで、あわよくばそれが人の、参考になったりしたらいいな、と思ってる。
ただ、ここ最近は、見た読んだ聞いたもののうち、半分くらいしか感想をかけなくなってしまった。ということに気付いて、もしかしてわたし、ちょっと忙しいのかしら、と思ったけれど、たぶんそんなことない。むしろ気持ち的には、一年前よりもゆるやかな気分でいる。
もちろん、一年前だって、見聞きしたもの全てメモしていた訳ではないのだけど、今思えば、ある程度は指向性のあるインプットの仕方をしてたんだなってわかる。あの頃は、ちょっとした目標があった。そしてそれは達成できるようなものではなく、いまもなくなったわけではないんだけど、
今はまるで糸の切れたたこみたいな感じで、タイミング次第で書きたいこと書いて、それが楽しい。そして、きっとまたしばらくして思い返せば、なんらかの指向性に、気付かされたりするんだろう。
つまり、そんなふうに、ログは降り積もるものであって、流れるものとはちょっと違うんじゃないんじゃないかなーとか、思います。むしろ私の中では。転がるいしのような、そんなイメージなんだ。