たとえ世界がつらくても、夢があるでしょいろいろと

口に出してしまったらのみこまれそうだ、と思ってなるべく本気では使わないようにしている言葉というのがいくつかあって、でも目前に吊るされた人参よろしくその言葉が視界に居座っている状態と、いっそ使ってみてどうなるかためすのとでは、どっちがマシなのかはよくわからない。
でも、誰に言うのでもなければ頭の中にあるのと同じだから、今のこの、なんとなくを、言葉にするくらいはいいような気がするんだけど、そうやって焦点をあわせてしまえば、結局、ああそんなの秋のせいだから、ということになる。ちょっと感傷的になってるだけだから、理由ないから、理由がないのが理由だから、とか、まー実際そうなんだけど、理由が知りたいわけでもない。
どうせ持て余すなら、もっとこうウキウキした気分がいい。毎朝ウキウキ・ウェイク・ミー・アップがいい。おいしい飴なめるみたいにして、大事になくならないように、ひとつのこと、何度も思いだしたりしたい。ちょっとしたことなのに、すごく嬉しかったこととか、うまくお礼言えなくて、いつまでもくよくよしたりとか、そのくよくよもあっという間に帳消しになるような、
そういうんだっただろうか、と思いながら芝生の上に寝てた。何年か前ここで、遠くのステージではリラックス、オープン、エンジョイ流れてたときのこと思いだしながら、だったならいいなとか思ってた。