ロシア

エイプリルフールだし、なにかエイプリルフールらしい嘘を言ってみたいなと思うのだけど、思いつくのはただの空想だったり、思いついてる時点で結構ほんとだったりする。
たとえば、今朝はロシアに行く事を考えていたのだった。船に乗っていて、あたり一面、のっぺりとしたグレーの海だった。
もうすぐ港が見えると聞いて甲板にあがると、そこは既に冬の国で、吐く息は片っ端から凍って落ちそうだった。その時、手すりにくっついてしまった私の指先を、通りすがりの船員さんが飲みかけのホットコーヒーではがしてくれるという出来事があったのだけど、私が思い出したのは昔テレビで見た、舌が冷凍庫の霜にくっついてしまった女の子のニュースで、あの子はその後どうなったのか今もまだ気になっている。船を降りた後、お礼を言おうと思って船員さんのを探したけれど、結局見つからず仕舞いだった。

ところでロシアといえばあの毛皮の帽子だけれど、それはたぶん日本でいう着物みたいなものだろうと思っていたら、道行く人のほとんどがかぶっていたのには驚いた。早速、私もひとつ買い求めようと思い、通りに面した帽子屋に入る。大柄な店員さんが、身振りでなにかアドバイスをしてくれたところによると、どうやら、耳まで覆うサイズのものを選ぶのが大切らしい。なんども耳から勢いよく手を落とす仕草をするのは、耳がもげるという意味だろうか。うんうんと頷き(そのジェスチャーが伝わるかはともかく)いくつか試着したうえで、最後はしっぽがついているのとついていないので迷い、結局しっぽなしを買った。

二叉路の間に立っているセントラルなんちゃらという名前の建物は、壁面にそって細長いポスターが掲げられているせいか、まるで渋谷109のようだった。こうして見るとロシアも日本もあまり変わらないよなぁと思いながら名物だという焼き菓子を食べる。名前は判別できなかったけれど、紙袋に入れてもらったそれは砂糖がけの弾力があるドーナツといった感じで、すばらしくおいしいというわけではないけれど、ついつい後をひく。後をひくというのはなんども確かめてみたくなるということで、それは気になるということで、つまりは好きだということだ。

知らない場所にいると、考え事をしているときと動いているときの、意識のある場所が遠いような気がする。ふともう降りる駅だと気づくと、人と一緒に音まで押し寄せてくるようで、あっという間にさっきまでのロシアも、遠ざかっていった。もちろんロシアに行ったことはないし、たぶん行くこともないような気がする。