隣の人の、読んでいる本

今日見かけたこんな人が、こんな本を読んでたんだよ、という話を聞くのは、たぶん楽しい。もし隣の席の人が自分も読んだことのある本を読んでいたら反応が気になるし、以前通っていた喫茶店では、よく見かける人が自分も読んでいたSF小説を読んでいることに気づいて、それから密かにその人が次になにを読むのか気にしていたりもした。そして、そのことを twitter に書いたこともある。
それなのに、Twitter で流行っていた(いまも続いてるのかは知らない)「BookSpy」のまとめを見た時には、なんかいやだなーと思った。

「BookSpy」というのは、町でみかけた人がどんな本を読んでいるかを報告する twitterハッシュタグで、もとはニューヨークではじまったらしい。
もともとは、ちらっと見かけたページや表紙の雰囲気からどの本か当てる、というとこが楽しみだったのかもしれないなと思うんだけど、自分がみかけた書き込みの多くは、読んでいる人の容姿と本の組み合わせを楽しんでいるもののように感じられた。
特に、着ているものや持ち物について細かく書き添えてあるものは多く(本家のものもそうみたい)、中には見かけた路線も書いてあったりして、きっと本人がみたら自分のことだとわかるだろうなと思えた。そこに悪意はないんだろうなと思うんだけど、書いてる方は、相手が自分のことだとわかる可能性に無頓着に見えたことが気になった。
もし、それが誰かの日記に書いてあったのなら、単純に「これ自分のことだったらすごい偶然だなー」って思う気がするんだけど、ハッシュタグをつけていると、発言が個人でなくタグのイメージになるせいか、どこかの掲示板に書かれているのに似てるような気がした。

もちろんそれはまとめを見た程度の私の印象でしかないし、いろんなひとがいろんな本を読んでいるということを知れるのは面白いだろうなと思う。
ただ、今はもう、ごく普通のことをしているだけで、例えば電車内で本を読んでいるだけで、誰かに「実況」されているのかもしれなくて、それが「普通」なことになっていくのかなと思うと、やっぱりなんかいやだなーとも思う。
とはいえ、見ていると自分も「見られたい」と思っている人もいるみたいだし、自分だって町でみかけた人が気になって何か書いたりすることはある。どこまでがありで、どこからがなしか、というのは人によって異なる感覚だと思うんだけど、自分にとっての境がどこにあるのかはなるべく意識していたい。

私は明日もきっと通勤電車の中で、眠そうな顔で文庫本を読んでいるだろう。仏頂面に見えるかもしれないけど、実は笑うのをこらえているかもしれないし、たまにうとうとしているかもしれないけど、それは本が退屈だからとはかぎらない。そして、隣に座った人が自分の好きな本を読んでいたら、友だちになりたいなと思うかもしれない。
そういう気持ちと、そんなに遠くはない気はするんだけど。