銀のコップ

湿度が高くなってくるとよく思い出すのが、学生の頃に旅行したタイの街のことだ。
腐りかけの果物とクーラーのにおい。じりじりというよりは、見えない雲にくるまれているような暑さの中、カフェの軒先には欧米人の旅行客が日がな一日暇そうにしていて、お祭りで金魚を入れてもらうようなビニール袋であまい水を飲みながら、私はお土産を物色していた。
お土産というのは、買わなければいけないとなると面倒だけど、誰かにぴったりなものを見つけるのは、宝探しをしているみたいで楽しい。そして私が当時好きだった男の子に選んだのは、ひと組の銀のコップだった。町の小さな銀細工やさんで、お店のおばさんは「すごくいいもの」みたいなことを言いながら、深爪の指できれいに値札をはがしてくれた。
空っぽだと軽くて頼りないのに、冷たい水を注ぐと氷を入れなくてもずっと冷たくて、今から思うと熱伝導率がいいってことだと思うけど、気に入って夏場はよくそれで麦茶を飲んだ。握っているときの吸い付くような冷たさがよかった。よく褒めてもらったので、我ながらいい買い物をしたと、満足してもいた。
それからしばらくして、その男の子とは別れることになったのだけど、遠くへ越すというので引っ越しの手伝いに最後に家に行ったとき、山盛りの食器を箱詰めしながら私が考えていたのは「このコップくれないかな」ということだった。
我ながらせこいと思う。でもきっと、いつか捨てられちゃうだろうし、それなら欲しいな。でも自分があげたものだしな、などと、日当りのわるい台所で逡巡し、結局言い出せずにそれも箱につめて送り出したのを覚えている。
その後、包んだ新聞紙の中からあのコップが取り出されることはあったのだろうか。それともそのまま今もどこかにあるんだろうか。そういうことを知るチャンスはきっともうないけれど、今あれが手元にあったら、きっと大事にするのになということを、夏になるたびに考えている。