光陰矢のごとし

「光陰矢の如し」という言葉を習った時の、手元の様子を今も覚えている。「少年老いやすく学なりがたし/一寸の光陰軽んずべからず」という言葉も確か一緒に習った。先生は声の高い、「が」の発音を「んが」と発音することにこだわっていますと、最初の授業で宣言した先生で、それからずっと先生の「んが」が出るたびに私は、でた、と思っていた。
教科書特有の、すこしクリーム色っぽい余白を眺めながら私は流れ星のことを考えていた。
光と矢、という言葉からの連想だろう。つまり人生は流れ星のように一瞬で燃え尽きるし、願い事を唱え終わる隙もない。
中学生だった自分がそんなことを考えた記憶はあるけれど、でも実際のところ人生はそれなりに長い。
まるで、長い長い走馬灯と現在が同時上映されているみたいだと感じはじめた頃から、日々はあっという間に過ぎるようになり、いつのまにかその背中を追いかけて走っているような気持ちになることもある。
例えば一年前の出来事と、あの授業中の風景の明度は私の中でさほど変わらないし、「メッセージ」で描かれていた「時間が流れているものではないとしたら」という感覚は、今ここ以外ではあり得ることなんじゃないかな、とか考える。

最近はひたすら趣味に時間を費やしまくっているけれど、やればやるほどうまくなるなんていうのは最初の方だけなので、そろそろ少しじっとして、どうやるかを考えることが大事なんだろうなと思ってはいる。でも我慢できずに足を踏み出してしまい、まだ凍っていない水面に落ちて、やっぱりね、とか言いつつずぶ濡れで向こう岸へ渡る…みたいなのを繰り返している。
最近は19時くらいでも明るいので1日が長く感じられて(錯覚だとしても)嬉しいですね。もうすぐ7月だ。