入院中の生活とほうじ茶

朝、6時少し前に目が覚める。
トイレに行き、顔を洗って歯磨きをして、向かいにある談話室までお湯を汲みに行く。
入院前、なんとなく荷物に入れたタンブラーだったけれど、入院中ずっとこの「お湯を汲む」という用途に大活躍してくれた。
汲んできたお湯で、自宅から持ってきたティーバッグでほうじ茶を入れる。温かい飲み物でひと息ついていると、遠くに朝食を配る配膳カートの音(アマリリスの曲)が聞こえ始める。
最初は音楽が聞こえてきてすぐに待ち構えていたが、数日経つと、どうやら奥の部屋から配り始めるので、一番手前にある私たちの部屋にたどり着くまでには30分程度かかることがわかってきた。
それでも、入院中の楽しみは(特においしいというわけではなくても)食事くらいのものなので、音が聞こえている間はそわそわ待ちわびてしまい、退院する頃にはアマリリスを聞いたらお腹が空く体になってるんじゃないか、なんて思った。

朝食はだいたいパンと汁物、乳製品に果物という組み合わせだ。
仕事柄「栄養バランスのとれた食事とは」という様な記事は幾度となく制作してきたが、そんなのは机上の空論だったなと思うくらい、入院中の食事たちには、これこそが栄養バランスの具現化だと思わせる説得力があった。
入院中「栄養バランスのとれた・適量の献立」の実例を体験することができたのは、退院後の食生活にもかなり役立っている。

朝食の前後には看護師さんの朝の問診(問診と呼ぶのかわからないが便宜上問診と書いておく)もある。
熱を測り、術部の確認をして、出されていた痛み止めの服用チェックをする。
週に何度かはいわゆる教授回診というものもあった。
私とほぼ同世代の主治医はおそらく部門の2~3番手らしく、教授回診の際にはサイドに控えており、帰り際にちょっと声をかけてくれるという感じだった。
これまで外来でしか会ったことがなかったけれど、手術や入院患者のケアをしている様子を目の当たりにすると、だからこそ日常生活では感染症に気を使うだろうなということが想像でき、この負担が少しでも軽くなる日が早くきて欲しいと思った。

次のアマリリスは12時頃だ。
ほとんど動いていないのに食べ過ぎの様な気もしたけれど、決まった時間に食べているうちに、アマリリスに合わせてお腹が空くようになってくるので面白い。

昼ごはんの後にも看護師さんの問診があり、術後2日目くらいから、このタイミングで風呂の予約を入れられるようになった。
脇腹にドレーンという管をつけているため、上半身はシャワーを浴びることができない(あったかいおしぼりをくれるのでそれで拭く)。
そして、風呂は30分単位でしか予約できないため、入院中は下半身のシャワーと洗髪を交互に行うようにしていた。洗髪は、風呂場にあるシャワー付き洗面台でビニールのケープをつけて前かがみで行ったのだけど、手術部位が動かしづらくしかも30分以内にドライヤーまでかけ終えなければいけないのでけっこう大変だった。でもまあそれもリハビリだ。

昼食から18時の夕食まではわりと時間があるのだけれど、メインイベントとなるのはこの風呂くらいだ。
入院前は、体力低下を防ぐために院内を散歩したりできるイメージだったけれど、コロナ禍ということもあり、フロアから外に出る際&フロアに入る際にナースコールをしなければならず、ただでさえ忙しそうな看護師さんたちを煩わせるのも悪いような気がして、せいぜい2日に1回、院内のコンビニに行くくらいの外出しかできなかった。
つまり全然歩かないのだ。お湯を汲みに行くくらい(50歩くらいの距離)しか歩いていない。
退院する頃には相当体力が落ちてるんじゃないかな…と怖くなる。
怖いけれど、ベッドの上はまあまあ快適で、本を読んだりPCで動画を見たりうたた寝をしたりして過ごす。

術後3日目くらいからはせめてベッドからは出ようと室内備え付けの椅子とテーブルで過ごすようにしていた。

病室のあるフロアに自動販売機の類はなく、水道も洗面所にしかなかった。
気軽に買い物に行ける状況ではない中、飲み水として使用できるのは談話室の給湯器のお湯のみだったため、先述のタンブラーと、持参していったほうじ茶のティーバッグがとても役に立った。
ちなみに病院側から提供される飲み物として、1日3回のアマリリスの際にもほうじ茶が配られていた。私は毎回、すでにほうじ茶の入っているコップを指して「このまま注ぎ足してください」とリクエストしていたため、もしあだ名とかつけるタイプのスタッフさんがいたら「ほうじ茶」と呼ばれていたと思う。

そんなあだ名もやぶさかではない程度にほうじ茶は好きなのだが、1日中飲んでいるとたまには甘いものやコーヒーも欲しくなり、術後初めて院内のコンビニまで出向いた際には、真っ先にスティックタイプのカフェオレを購入した。
娯楽に飢えていたため、スティックタイプのカフェオレを入れて飲むのが1日のハイライト的なイベントにすら感じられた。

明るいうちは大抵、窓辺のテーブルで本を読んで過ごした。入院中はよく集中でき、漫画以外で7冊くらいは読めた。
特に、このタイミングで読んで良かったと思ったのは、
津村記久子「とにかくうちに帰ります」
スズキナオ「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」
という2冊だ。どちらも自分にとっては退院後に向けた日常への軟着陸を手助けしてくれたように感じている。

18時頃、ふたたびアマリリスが聞こえてくる。
スマホでラジオを聴きながら夕食を食べ、ほうじ茶を飲み、顔を洗って歯を磨く。
そこから消灯の21時までは、ベッド上に机を移動させ、ノートPCで動画を見ることが多かった。このとき、リクライニング式のベッドをソファの様な格好にしているわけだけれども、これがすごく快適で、退院した今も、あの格好で動画がみたいなと思ったりする。

消灯直前、1日の締めくくりとなる問診がある。1日3回、体温を始めとした諸々の報告をしてみると、自分の体が一定のリズムで動いていることがよくわかる。わかるものですね、というのを看護師さんが共有してくれているというのもなかなか心地が良く、なるほどケアされるというのはこういう感じなのか、と思う。

そんなわけで、計10日ほど、こんな感じの入院生活を送った。
カーテンで仕切られた4畳ほどの病室を窮屈に感じることはあまりなく、むしろこうして思い返してみると自分にとってあれは「守られた場所にいた」という記憶のように感じる。
これはもちろん、術後の経過が良かったおかげなのだけれど、しばらくは定期的に通うことになる病院なので、信頼感を積み重ねることができたのは良かったなと思う。

退院後も引き続き、だいたいの時間はほうじ茶を飲んでいる。