ミュージカル「ピーターパン」を見ました!

ピーターパンの舞台が定期的に行われている、というのは何となく知っていたものの、実際に見たのは今回が初めて。なんと1981年から毎年上演されているとのことで、会場には歴代ピーター役のパネルも飾られていました。最近では高畑充希さんが6年間ピーター役を務めていたのだそうです。
そして今回は新人の吉柳咲良さんという方が13歳(!)という若さでの主演でした。

見に行ったきっかけは、もちろん宮澤佐江ちゃんがタイガー・リリー役で出演すると知ったから。しかも神田沙也加ちゃんもウェンディ役で出演するとのことで、とても楽しみにしていました。

タイガー・リリー!


まずは何といってもお目当てのタイガー・リリーですよ。
役柄的にも佐江ちゃんに似合うことは予想できたので、完全に安心しきって見に行ったのですが、これがほんと~~に似合っていて最高でした!
タイガー・リリーは、ピーターと協力して海賊たちと戦うことになる仲間のような役所です。所謂インディアン喋り(片言口調)なので台詞はすくないんだけど、ダンスやアクションシーンはたくさんあって楽しい。
まず最初に仮面をつけて登場して、外した瞬間にもう5億点!!と思うくらいに凛々しくて、メイクや長い足が際立つ衣装もかっこよかったし、インディアンのダンスも迫力があるのにどこか優雅で、さすが佐江ちゃんだなと思いました。やっぱり私は佐江ちゃんが踊ってるのを見ると幸せです……。
槍をもって走る佐江ちゃんは完全に戦士だったし、カーテンコールでは優しい表情で大天使マイケルをエスコートしたり、ウェンディに抱きつかれて照れたりしていて、つまり佐江ちゃんの色んな顔が見れる素晴らしいとても舞台でした。大満足です!

お子さんへの配慮を感じる

会場には予想してた以上に小さなお子さんがたくさんきていました。「アニー」みたいな感じなのかな? たぶんお客さんの3分の1くらいは幼稚園から小学生までのお子さんだったんじゃないでしょうか。
物販も子ども向けのかわいらしいもの(フック船長の帽子やティンクの羽根など。ウェンディのリボンが人気のようでした)がたくさんあって、ロビーには「ピーターに手紙を書こう!」なんてコーナーも用意されていて至れり尽くせり。
舞台が3幕構成になっているのもお子さんへの配慮なんだろうなと思います。3幕構成とはいっても細切れという感じはなく、合間合間に感想を話せたりして楽しかった。
あとピーターがお客さんに対して呼びかけるシーンにはお子さんが真っ先に声を出していて、ぐっときました。

子役がすごい

見始めてまずびっくりしたのは子役(ウェンディの弟であるジョンとマイケル)の2人です。年齢的には小学校の高学年と幼稚園かな…?ってくらいの小さい子なんですけど、2人とも歌うし踊るし飛ぶし完全にジョンとマイケルでめちゃくちゃかわいかった…。
調べてみたらマイケル役は女の子(山田樺音さん)で、ジョン役の福田徠冴さんはすでに舞台経験も豊富な方のようです。
この2人がほんとーーーにかわいくて1幕が終わった時点でちょっと泣いてました。小さい子が頑張ってるの見ると泣いてしまう…。
そして見ている時はまったく気付いてなかったのですがピーター役も13歳なのでむしろこの2人の方に世代が近いんですよね。すごいな…!
ピーター役の吉柳咲良さんは、見ててものすごく緊張してるのが伝わってきてちょっとはらはらするくらいだったのですが、歌はすごく伸び伸びとしていて、きっとこれからすごい女優さんになるんだろうなと思いました。

トーリー

人によって「ピーターパン」の原体験っていろいろだと思いますが、私の場合は世界名作劇場ピーターパンの冒険」が、ロビン・ウィリアムズの「フック」で上書きされた感じの記憶になっています。でもこれ、今改めて見直してみるとどちらもかなりのアレンジされたピーターパンなんですよね。
原作を読んだことがないので、今回のミュージカルピーターパンはどの程度原作に忠実なのかはわかりませんが、ラストシーンがわりと辛いものだったことには驚きました。確かディズニーのピーターパンにはそういうシーンがあった気もするけど…。
有名なのでネタばれではないと思うんですが、(結末に触れているので白文字です)現実世界に戻ったウェンディをピーターが迎えにくるという展開で、でもそのときウェンディはすでに大人になってるんですよね。で、ピーターは代わりにウェンディの娘を連れて行ってしまうんですよ。
ちょっとこわい…、と思ってしまうのは私が大人になってしまったからなんでしょうか。
「フック」ではピーターはウェンディの孫と結婚してる設定だったかな。何となく大人になる事を受け入れる話のニュアンスが強かったので、ラスト
「君は大人になりすぎた」
なんてウェンディに言うので、辛い…という気持ちになりました。

でも終演後、お子さんたちが「ピーターに会いたい~!」なんて言ってたりもしたので、これはこれで素敵な原体験なんだろうな。

子どもの頃は「そういうものだ」と思って見聞きしていた物語でも、大人になって改めて見返すと、また違う側面が見えたりするのは面白いし、だからこそ、ピーターパンにもいろんな解釈のバージョンが生まれているのだろうなと思います。

youtu.be

↑1分くらいのとこからタイガーリリーが出てくるので見てください!かわいい!

インク瓶

子どもの頃、祖父の書斎にあったインク瓶に憧れていた。
とはいえ、あれがインク瓶だった、と気付いたのはある程度大人になってからだ。
それは蓋付きのうつわと、ペンさしが1枚の板の上に貼付けられているというガラス細工で、台の裏にはえんじ色のフェルト布が貼られていた。
隣にはきらきらした紙の詰まった瓶も置かれていて、書斎に入るたび、せめてこれを1枚もらえないだろうかと思っていた。
あの、机の上の光景を、時折、新しい文具を買うときなどに思い出す。
些細なものだ。
昼過ぎの光の具合や、日の当たった机の上の暖かさ、これを手に入れたらきっと何かすてきなことが起こるという気分だけが、頭の右上に瞬いて、
それを消さないようにそっと、新しい道具を手に取る。

大人になるにつれ、新しくものを買う、という経験は珍しいことではなくなり、とりあえず買って積んでいる雑誌や使い終えていない文具なんてものも増えてきた。
けれど「これを手に入れたら何かが起こる」という予感は大事にしたいし、
その閃きを現実の瞬間に繋げることが、ものを手に入れる責任なのだと自覚したうえで、買い物をしなければと、思っている。

すべて夏休みに解決できたらいいなと、この時期特有の過大な期待を寄せている。夏休みに。

夜明け告げるルーのうた

湯浅政明監督作品が2月連続公開されるなんてまさに盆と正月が一度にやってきたような2017年。
なのにタイミングがあわず見にいけてなかったのですが、アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞(おめでとうございます…!)した凱旋上映ということで、上映館が増えていたためようやく見にいけました。

見に行って本当によかったです…!

物語は、とある田舎町に越してきた宅録少年が、音楽好きの人魚「ルー」と出会い、親交を深めていく…というもの。しかし、ルーの存在を知った大人たちはルーを利用しようとした末に、ルーを捉えてその命を脅かすような攻撃を加える。
そこからの主人公たちの奮闘…というのがおおまかなあらすじです。

自然の恐ろしさと共存……というのがテーマでもあると思うんだけど、それをここまで優しく描くというのが湯浅監督らしさでもあるなと思います。これまでの作品の中でもひときわ優しい、すべて等しく救おうとする物語なので、正直途中までは歯がゆく感じるところもなくはなかった。
しかしなんといっても湯浅監督といえば終盤にやってくるアクション盛りだくさんで駆け抜けるお祭り騒ぎみたいなクライマックスです。テンポよく、しかし駆け足にはならず、様々なキャラクターの心象風景を織り交ぜまるっと包み込むラストは本当に圧巻だった。
このラストシーンだけでも、個人的には忘れられない映画になりました。
正直、見終わって数日経つ今も、思い出しては涙ぐんでしまうような場面があったのだけど、でもそれはすごく予想外というか、少なくとも予告を見ていた段階でこういう形でぐっとくる作品だとは思っていませんでした。
今はとにかくそのシーンについて見た人と話したい気持ちでいっぱいなので、以下にネタばれ感想も書いておきます。

《以下ネタばれです》

特に私がぐっときたのは「人魚に愛しい人を奪われた」経験をもつ2人の老人のエピソードでした。
この2人は途中まで主人公たちの行動を阻む存在なわけですけど、終盤のクライマックスシーンでいきなりこの2人がまるで主人公のように浮かび上がってくることに本当にびっくりした。
映画はどうしても主人公を中心に見ていく一人称的な見方をしてしまうことが多いと思うし、そうなると脇役として描かれていた人物の事情、というのは意識の外にあったりもする。
けれどこの2人が終盤、長年の思いをどのように昇華したのか、ということを台詞で説明するでもなく、そこまでの伏線を踏まえた心象風景で悟らせ、さらに彼らが抱えてきた年月の重さを思い知らせる…という演出は本当に見事だと思いました。
こういう演出は、例えば文章で表現しようとすると心情の説明になってしまいそうだし、かといって実写ではCGを使ったとしてもこのように現実と人物が見ている「幻」に近いものをシームレスに描くことは難しいんじゃないかと思う。
例えばタコ婆が見る「彼」の見え方の変化などは、絵で表現するアニメーションや漫画ならではの説得力だとも思った。

主人公の祖父が傘を作っていた理由と、彼の誤解、そして最後に傘を差し掛けることで、和解を示す、というこの流れも最高にしびれた。

第一旋律として流れる主人公達の物語はあくまでも10代に向けた青春ストーリーなのだけど、その底に流れていたもうひとつの旋律によっていきなりシニア層にまで間口を広げるような、懐の広さに圧倒される映画でした。
音楽もよかったな~。しばらくは「歌うたいのバラッド」きくたびにちょっと涙ぐみそうです…。
ルーと主人公の関係についてだけ、え!?そういう感じなの!?ってびっくりしたんだけど、でもまあ主人公中学生だしそれもありかな!?と思いました。


湯浅監督は来年春にNetflixにて配信される「デビルマン」を監督されるとのことで、そちらも大変楽しみです!
www.oricon.co.jp

光陰矢のごとし

「光陰矢の如し」という言葉を習った時の、手元の様子を今も覚えている。「少年老いやすく学なりがたし/一寸の光陰軽んずべからず」という言葉も確か一緒に習った。先生は声の高い、「が」の発音を「んが」と発音することにこだわっていますと、最初の授業で宣言した先生で、それからずっと先生の「んが」が出るたびに私は、でた、と思っていた。
教科書特有の、すこしクリーム色っぽい余白を眺めながら私は流れ星のことを考えていた。
光と矢、という言葉からの連想だろう。つまり人生は流れ星のように一瞬で燃え尽きるし、願い事を唱え終わる隙もない。
中学生だった自分がそんなことを考えた記憶はあるけれど、でも実際のところ人生はそれなりに長い。
まるで、長い長い走馬灯と現在が同時上映されているみたいだと感じはじめた頃から、日々はあっという間に過ぎるようになり、いつのまにかその背中を追いかけて走っているような気持ちになることもある。
例えば一年前の出来事と、あの授業中の風景の明度は私の中でさほど変わらないし、「メッセージ」で描かれていた「時間が流れているものではないとしたら」という感覚は、今ここ以外ではあり得ることなんじゃないかな、とか考える。

最近はひたすら趣味に時間を費やしまくっているけれど、やればやるほどうまくなるなんていうのは最初の方だけなので、そろそろ少しじっとして、どうやるかを考えることが大事なんだろうなと思ってはいる。でも我慢できずに足を踏み出してしまい、まだ凍っていない水面に落ちて、やっぱりね、とか言いつつずぶ濡れで向こう岸へ渡る…みたいなのを繰り返している。
最近は19時くらいでも明るいので1日が長く感じられて(錯覚だとしても)嬉しいですね。もうすぐ7月だ。

 「メッセージ」

監督:ドゥニ・ビルヌーブ

テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』の映画化作品。
とても楽しみにしていて見に行ったのですが、本当に、とても好きな映画でした。

原作は以前読んでいたのですけどほとんど忘れている*1状態で見に行ったのですが、これもよかったと思います。
見終えた後に原作を読み直してみたのですが、核となる部分はもちろん共通しているものの、物語的な装飾をその核を損なわないよう、よくぞあの脚本に仕上げたなと感じました。
丁寧に読み、噛み砕いた上で語りなおすこの脚本のあり方も、メッセージのテーマに通じるところがあると思う。

映画版のあらすじは、ある日世界各地に「船」が現れ、人類は警戒しつつも、知的生命体《ヘプタポッド》との対話を試みる…というもの。主人公の女性言語学者の視点で描かれるというのは原作と共通しています。
まず、この知的生命体との対話、というテーマが面白かった。
いきなり全体を伝えようとするのではなく、言葉の成り立ちを理解するためにヒントを積み上げていく過程や、表意文字表音文字についてのお話とかも面白くて、もう少し勉強してみたいなと思いました。
同じ言語についてのSFとして、まず思い出すのがジェイムズ・ティプトリー・Jrの『衝突』だったのですが、理解のためにまず信頼を表現するという行動についても共通するものを感じました。

しかしこの『メッセージ』は言語SFだけじゃないんですよね。
ここを忘れていたおかげで、映画を見ている間にもしかしてを感じ続けることができたし、自分にとって特別な映画になったなと思います。

どこか記憶の中にいるような、透明感のある映像もとても美しくて、映画館でみてよかったなと思いました。あと、役者さんの演技が、見てる側へそのままを伝えるような抑制的なものであったのも、物語にとても合っていたし「仕組み」として機能していたなと思います。

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語


【ここから先はねたばれになります】

原作も映画も、主人公の現在と、どうやら既に亡くなってしまった子どもと過ごしている時間を交互に行き来するように描かれる。
現在と平行して描かれるものは、通常「過去」として理解されると思うのだけど、映画では物語の序盤に「時間が流れていないとしたら」という台詞があって、これがヒントになってずっと「もしかしたら」と思っていた。
もしかしたら、と思っていたのは、これは「琥珀」のお話なのではないかということ。
カート・ヴォネガットスローターハウス5』にでてくるトラルファマドール星人は、すべてのわれわれは「瞬間という琥珀に閉じ込められている」と話していた。例えば死は「あらかじめ決まっている事」であり、避ける事はできないけれど、同時に別の時間の中ではその人は生きている。
(実際に原作に収録されている作品覚え書きに「この話のテーマをもっとも端的にまとめたものは『スローターハウス5』25周年記念版の自序でカート・ヴォネガットが語っている文章」であると書いてある。/元ネタになった、ということではないと思うけれど)
この「琥珀」が、『メッセージ』における、《ヘプタポッド》の時制がない「表意文字」でもあるのだと思う。
『メッセージ』の主人公は物語の後もこの四次元的世界の中で観測者として生きることになるのだと思うけれど、それでも予め知っていた自分の人生を選択する。

私はループものやタイムリープもののSFが大好きなのですが、好きな理由の最大のポイントが、観測者の孤独と、観測されたことによって世界は存在し得る、といういささかロマンチックな部分にあります。
この物語における《あなたの人生》もまた、主人公の存在によって常にあり続けるのだと私は考えます。


ichinics.hatenadiary.com
ichinics.hatenadiary.com
eiga.com

*1:長谷敏司『あなたのための物語』とごっちゃになってもいた)