夜は短し歩けよ乙女


湯浅監督の、なんと「マインド・ゲーム」以来の劇場長編映画。しかもあの「四畳半神話大系」のスタッフ再集結と聞いてすごく楽しみにしていました。

原作はかなり前に読んだけど詳細は忘れている…、という映画を見に行くのにはちょうどよい記憶具合だったので、細かな原作との差異はまだ把握できていないのですが、大きな改変として原作では約1年のできごととされているところを一夜の出来事にまとめあげたというのが素晴らしいアイデアだなと思いました。
時間経過的に一晩ですむようなお話ではないのだけど、絵巻物のような夢物語のような雰囲気があるお話のため違和感はないし、湯浅監督ならではの疾走感のある演出にもあっていたと思います。
中でも私が好きだったのは李白さんの三階建て電車の描写です。
私は狭いところに大きなものがやってくる、とか、ほとんど家のようなものが動く、という展開にとても弱いのですけど、あの李白さんの家についても、ぜひ中を細部まで見学させて欲しいなと思ったし、しばらく住み込みで働きたい。そう思うくらい素敵な家でした。李白さんの家で李白さんと飲みながら飲み屋に駆けつけたい。
映画を見終わった後に原作を読んだ感想を見返してみたら、やはり李白さん登場場面が見たいと書いてあって、自分も相変わらずだなと思いました。
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キャラクターで特に良かったのは、断然学園祭事務局長!
神谷浩史さんといえばもう饒舌キャラクターの名手ですけども、今回の学園祭事務局長は、流暢にしゃべりつつも常に軽やかな喋り方をするキャラクター。こういう演技もするんだなと新鮮な気持ちになりました。特に寝込んでるときの差し入れの山に埋もれてる総番長が好きです。
同じスタッフの作品、ということもあり今回主人公の声をあてた星野さんの演技は四畳半における浅沼晋太郎さんの弁舌を参考にしたものだと思いますが、これはきっとかなり難しい役所だったんじゃないかと思います。ただ周囲を固めるベテラン勢の安心感もあってか、モノローグよりも会話シーンで生き生きして聞こえたように感じました。
私は四畳半の明石さんが本当に好きなので明石さん派ではありますが、乙女の好奇心旺盛でかわいらしい感じは花澤さんならではとも思ったし、パンツ総番長を演じていたロバート秋山さんもとてもよかった。ミュージカルシーンに新妻聖子さんがでてるのもすごかった……。

などなど、とても一夜の出来事とは思えない、めくるめく体験ができる映画でした。
本当に楽しかった。そしてとても飲みに行きたくなりますね。まずは偽電気ブランを飲んでみたい!

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「お嬢さん」

監督:パク・チャヌク

監督が原作「茨の城」(サラ・ウォーターズ)を映画化するにあたって、

「もちろん原作の物語も大好きだったけれど、私がいち読者として、いち視聴者として、こういう物語がみたいな、こういう結末になったらいいのに、というストーリーに変更したのです」
http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4429.html

と語っている……という話題を見て、それってモチベーションが二次創作なのでは……と気になり(もちろん監督の作品が好きで期待していたのもありますが)見に行ってきました。
とってもよかった。


【以下内容に触れています】

私は原作未読なのですが、3部構成のうちの1部をみて「こうなって欲しい」と思った展開を、一度は裏切り、しかし最終的に「これが見たかったんだ」と思わせてくれる作品でした。
原作の舞台がロンドンであるのに対し、「お嬢さん」の舞台は韓国に住む日本人の館になっているので、冒頭は日本人として描かれる韓国人キャストの日本語が聞き取りづらいな…なんて思ったりもしたのですが、そんなのは一瞬で、あっという間に物語に没入してしまった。
第1部は物語の主軸となるお嬢さんと、彼女の元に送りこまれる世話係のスッキのやりとりがとにかく色っぽくてときめきます。お嬢さんを裏切らなければならないのに、次第に惹かれていってしまうスッキの目線の描き方の説得力よ。お嬢さんの背中を閉じるボタンを眺めながら「このボタンたちは私のためにある」なんてモノローグが入るの最高だった。
第2部では視点が逆転し、騙していたはずのスッキが実は騙されていた側であるということが明らかになる。ここで一度は絶望しかけるのですが、お嬢さんがそうせざるを得なかった理由が描かれていくうちに、やはりスッキの存在に期待してしまう。
そしてスッキこそが自分を救いだしてくれる存在であるということを確信する瞬間の、お嬢さんのあの、期待に満ちた目。
2人がお互いの立場を明らかにした後の、桜の木の下の場面などは、場内に笑いが起こるほど可笑しくもあり、同時にひたすら切なく愛おしかった。
2人のラブシーンは手を握り合っていたのがすごく印象的で、この2人の間には(お嬢さんと世話係という関係でありながら)上下関係はなく、手を繋いで世界に対峙しているのだと思えたのもよかったな。恋も憧れも性愛も込みで、2人はお互いしかみていないのに対し、そんな2人をとりまく2人の男は2人を「従属させている」と思っている。だからこそ、どうにか、カウンターを食らわせてやって欲しいと願ってしまう。
そして第3部はその願いが叶えられる。
再会した2人を遠景でとらえるショットはとても素敵で、ここで物語を閉じる監督もいるだろうなと思います。
しかしこれでもかとエンディングを盛り上げるところに、監督の「こういう結末になったらいいのに」が込められていた気がしたし、そういった意味でこれは監督の原作(というかキャラクター)への愛で描かれた作品のようにも思えました。

そして、そんな監督の分身として置かれているのが首謀者である「藤原」なのではないかと思います。
藤原はスッキを使い捨てのコマとして利用し、お嬢さんを手に入れようと画策する男なのですが、ラスト、2人と一緒に館を出るシーンを回想する彼は2人の関係を察していたかのようだった。まるで彼女たちの未来への礎となれるのであれば本望だというエンディングにも思えて(というのは私の勝手な解釈かもしれませんが)監督がそこまで思いいれた原作を読まなければと思いました。

レズビアンを描いた映画としても素晴らしく、特に監督がインタビューで以下のように語っていたことが印象的でした。

「私としては、まさに男性の視線、視線の暴力にさらされ続けた女性がそこから脱出し、解放される、それを称える映画を撮りたいと思って撮ったのですから、まさかベッドシーンや濡れ場をのぞいて喜ぶような男性視点で作るわけはないのです。実際、そのような場面を撮影するときには最大限の注意を払って撮影に臨みました」
https://i-d.vice.com/jp/article/the-handmaiden-chan-wook-park-interview

脳内リンク

新しいものをみて、これはあれに似ている、なんて思うことは見聞きするものが増えるごと(多くの場合は年を取るごと)に増えていくものだと思う。
私がそれを書くのは、基本的には、これも好きな人はあれも好きなのではという便乗おすすめをしたい気持ちなのだけど、それは単なる昔話なのかもしれない、と思うことも最近は増えた。
例えば日記を書いていて、これ前も書いたな、なんて思うのもそれに似ている。
ただ、頭の中で繋がったものにリンクを張っていくのは、この日記上においては自由だし、そういう意味で、日記を書くのは自分の記憶を客観的に保存する作業ともいえる。

今日、だいたい8年ぶりくらいに、小林賢太郎さんの舞台を見た。
その活動を積極的に追わなくなったのにはわりと明確な理由があって、そのことについて私はよく飲み会などの場で話していたし、てっきりこの日記にも書いたと思っていたのだけれど、
昨日それを友人に話しながら検索をしたところ、日記ではそのことに触れていなかった。
たぶん、嫌いになったわけではないので、そうとられかねない表現をすることを避けたのだと思う。
けれど、ずっと心にひっかかっていた、ある種の「反感」みたいなものは、今日舞台を見たことで消えたと思う。
久しぶりに母校に顔を出したら、あの頃苦手だと思っていた先生がちょっと優しくなっていた、みたいな気持ちだ。
きっと小林賢太郎さんは自分の作品についてそのような表現をされることは好まない人なのではないか、と思う。
ただ、年を重ねていくということは、当たり前だけど自分の側もまた物の見方が変わるということでもあって、
私はあの頃、しばらく追わないでいようと思った理由を忘れていないし、しかしそれを書かなかった自分の、それでも好きという気持ちがいまここに繋がったことを嬉しいと思う。

手放しで「最高だった」というのとは少し違うんですが、それでも今日舞台を見た後に前作のDVDを衝動買いしてしまったし、それを見るのがとても楽しみです。

2月

2月は逃げ月といいますが、その名にふさわしい、あっという間の2月だった。
バレンタインの催事に行ったのだって1月だし、それを食べ終えたの一昨日くらいだし、狐につままれたような気持ちで3月に切り替わったカレンダーを見る。
2月。
今年こそは手帳日記をつけようと思っていたのに2月はほとんど記録をとっていなかった。
天井の高いラウンジでからみた曇り空とおいしいローストビーフのこととか、南千住の駅におりたらうなぎのにおいがしたこととか、駅の近くにホテルがたくさんあったのはなんでだったのかなとか。
思い出すことはいろいろあるのに、いつかそれも薄まった記憶の中に沈んでしまうのだろうか。


月半ばには母の見舞いにも行った。
胆石をとる手術で、それほど長期の入院ではなかったのだけど、入院先の病院が近所だったこともあり、見舞いに行くことにした。とはいえ外出許可もでていて、外で食事をしたので、全くお見舞い感はなかった。
本当は病院の食堂に行こうと話していたのだが、土日はお休みだったため、外にでることにしたのだ。
「近くにおいしいラーメン屋さんがあるよ」と話すと母は「それより韓国料理はどう」と言った。手術明けに刺激物ってどうなんだろう、とは思ったのだが、やたらとオススメしてくるので、向かうことにする。
その理由はすぐにわかった。
店に入ったとたん「久しぶり!」と声をかける。
どうやら通院している間に行きつけになって店主と顔見知りになっていたらしい。
「手術したんだ」「えっ大丈夫なの?」「大丈夫大丈夫」「じゃあこれ退院祝いね」
なんて韓国海苔をプレゼントしてもらっているのを見て、母の相変わらずの社交力に圧倒されてしまう。
注文した石焼ビビンバに「辛くして!」とリクエストを入れて「塩分の取りすぎはダメよ!」と注意されてたくらいだ。
そんなやり取りを見ながら、私はカルビ焼き定食を食べた。
母が入院していた病院は私が生まれた病院でもあったので、母はしきりに「懐かしいでしょ」と言っていたが、当然記憶はない。

「取った胆石って見れるの?」
「次の定期健診でもらえるから見せるね」
なんて話をして別れたのも半月ほど前のことで、すでにその胆石も手に入れたと連絡があった。


ともかく毎年、今年こそはあれをやろうと心を新たにしつつも振り落とされるのがこの辺りなのだと思う。
なので3月はもう一度仕切り直しで、計画的に生活をしたい。なんて言っているうちにもう5日になっているので気を引き締めねばと思っているところです。

「LA LA LAND」

監督:デミアン・チャゼル
ライアン・ゴズリングのファンでミュージカル映画も好き、というわけですごく楽しみにしていた「LA LA LAND」、公開初日だった金曜日に見に行ってきました。

アカデミー賞歴代最多タイとなる14部門ノミネートという追い風もあってか劇場は満席。土曜に会った友人とも感想を話せたし、週末にはTwitter等でも感想をたくさん見かけることができてとても楽しいです。やっぱり映画館で映画を見る楽しみのひとつは、同じタイミングでいろんな人の感想を見れることだと思う。
しかも予想外に感想がめちゃくちゃ割れまくっているのも面白い。
私の観測範囲では「賛否」に割れているというより、大絶賛派と、よかったけど云々…派に別れているような気がするんですが、その「よかったけど」の後に続く内容もけっこう色々なので、私の感想も今のうちに書いておこうと思いました。

私の感想をネタばれにならない感じでまとめると、、大好きなシーンも5億点シーンもあるけれど、気になる部分も少なくなく中盤少し飽きてしまったのは否めない…と言う感じです。



【以下内容に触れています。】


美しいオープニングの群舞から、気のすすまなかったパーティに行くまで、ずっと歌って踊ってが続くのが夢見たいに最高だった。特にルームシェアしてるっぽい女の子4人が色違いドレスで道を闊歩するシーンの楽しさといったらなかった。

役者を目指している、でも浮かれた人たちには何となく馴染めない主人公ミア……という描かれ方は多少ステレオタイプにも感じたけど、パフォーマンスの魅力で振り切れる感じ。
ライアン・ゴズリング演じる、いつかジャズの店を開くことを夢見るピアニスト、セブとの運命の再会はそうロマンチックなものではなく――というのもかわいらしかったし、3度目の出会いからの、夜景を見ながらのダンスシーンは2人のチャーミングさが溢れていて最高に最高だった。
セブがミアと別れた後、来た道を引き返していくことで、彼女と歩きたくてついてきたことがわかる、っていう演出にもすごくぐっときた。


最初にうーん、と思ったのは、2人が付き合い出す場面。
彼氏とのディナーを退席して映画館で彼女を待っているはずのセブのもとに向かい、スクリーンのまん前に立ってセブを探す……という演出についてです。色んな人が言及していた場面だけど、個人的にも女優を目指し、スクリーンの中に憧れてる人がああいうことするかなぁ……、というところにひっかかってしまった。絵としてはきれいなんだけど。
それからジャズは会話だ、って演奏者を前にセブが喋り続けている……という場面もちょっと疑問だった…。
もちろん、そんな物分りのよいキャラクターばかりである必要はないと思うし、
例えばセブのジャズに対するこだわりは多少偏屈にも思えるんだけど、彼が神経質にフレーズの練習をし続けていることから、それを愛しているのだということは伝わってくる。
でもこの辺りで躓いてしまったのが乗り切れなかった原因かなと思います。

やがてセブは夢である店の開店資金を貯めるために、最初は気乗りしていなかった友人のバンドに入る決心をする。
2人は出会ったばかりの頃に、ケニー・Gのような音楽が嫌い、という話題で盛り上がるシーンがあって、その友人のバンドはたぶんその系統にあるんですけど、そのバンドに纏わることも、ちょっと馬鹿にしすぎているように感じた。もし自分が、あのバンドのファンだったら、メンバーがこんな態度なのは悲しい。ケニー・Gは私も苦手ですけども。

そこから色々あって、セブはバンドを辞め、ミアは女優デビューし、物語はハッピーエンドを迎える、ように見える。


個人的にはここまでの流れが少々退屈に思えてしまっていたのですが、
画面に「5年後」とでてからがすごかった。
色んな人の感想を見ていると、ここからがだめだったという人と、ここからがよかった、という人にわかれていたと思いますが、私はこれがあったからこそ、この映画を嫌いにはなれない。

5年後、女優として成功したミアはセブでなない男性と家庭を持ち、満ち足りた生活を送っているように見えます。
そこで通りかかったある店に、ミアが「いつか開くセブの店に」と提案したお店のロゴが飾られていることに気付くところで様子が変わる。

ここからの場面は、いわば「If」の物語なんですよね。
もしあのときこうしていたら、あちらを選んでいたら、という分岐の連続で人生は形作られていく。
そして積み重ねられた「If」が2人の再会に巻き戻ったところがこの映画のクライマックスだったと思います。
「現在」が悪いわけではない
でももしも、と考えてしまうことはどんな人の人生にもきっとあり、それでも人生は続く。

ラストの2人の笑顔を見て、そういうことに思いを馳せることができるところがとてもよかった。

ただ、監督は「If」の物語を描きたかったんじゃないのでは、という気もするんです。「LA LA LAND」という言葉がハリウッドを意味するということからも、あくまでも、夢を追う人々が集う街というものを描きたかったのかもしれないなという感触もあり、そういう一言で捉えきれないところが、見る人によって感じることがかなり違うのかもしれません。

あとはミュージカル映画だと思って見に行ったので、もっと歌って踊るのを見たかった、というのもある。特に予告で繰り返しOPの場面を見ていたのでもっと群舞が見たかったな。
……と、いろいろ書きましたが、豪華で美しくてチャーミングな映画であることは確かなので、もちろん見てよかったなと思っています。
とにかくピアノを弾くライアン・ゴズリングが見れるってだけでも5億点でてた。

いろんな人の感想を読んでみたいです。

「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、ラストに1番強烈なものをもってくるという構成が似てるなと思いました。
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