リトル・フォレスト2巻/五十嵐大介

リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)

リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)

晴耕雨読への憧れというのは割と幼い頃からあって、今でも時折、無性に山に住んでみたくなる衝動がおとずれる。まあ、それと同じくらいの割合で海辺にも住んでみたいと思うこともあって、要するに私のそれは今のところ単なる憧れにしか過ぎない。だから、実際に農家を営んでいる友達には「そんなに楽なことじゃないよ」と言われてしまったりもして、そう軽々しく憧れを口にするべきではないなと反省するのだけど、それでもやっぱり衝動は訪れる。
この「憧れ」というのはきっと、自分にとって、ほんとうに大事なものを見極めたいという欲求でもあるのだと思う。両手をからっぽにしたときに、自分に残るのは何だろうとか、そういうことを知りたくなったとき、食べ物を育てて、食べて、生活をしたいなと思ったりするのだ。なんて、そんな動機も、いかにも貧弱で恥ずかしい。実際にはそんなきれいごとだけでは暮らしていけないのだとは思うのだけど、でもこの「リトル・フォレスト」を読んで、主人公のいち子の生活を見ていると、増々そういう気持ちは募る。
季節と共に生きて、作物を育てて、自然のタイミングというものを経験から学んでいくいち子の姿はたくましい。食べ物はどれも美味しそうで、特にじゃがいも好きの私には31話はたまらなかった。それからあけび。あけびって、名前は聴いた事あるけれど、見た事も食べた事も無い。中が和菓子みたいな甘さで、皮が苦いって、どんな味なんだろう。
なんてぼんやり考えていたときに、32話の「ちゃんと前向きな気持ちで住むトコ選びたいんだって」という台詞を読んだりして、うん、そうだよねと思った。
行こうと思えばどこへだって行けるんだって、そんな台詞もどこかで読んだことがある。
* * *
「リトル・フォレスト」は食べ物をモチーフに田舎での暮らしを描いたエッセイ風の作品だけれど、情景の中から1人の人生を浮かび上がらせるというやり方はむしろドキュメンタリーに近いような気がする。今までにも自然への敬意や畏怖というものを題材にした作品が多かった中、この「リトル・フォレスト」のような作品を読めたことはとても嬉しい。本を開いたら、もうそこに美味しい空気が流れているような気がする。
ちなみに私の憧れを募らせる作品群としてぱっと思い付くのは、武田百合子さんの「富士日記」、くらもちふさこさんの「天然コケッコー」、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」、山というよりは海だけど保坂和志さんの「季節の記憶」などです。あ、あと佐藤さとるさんのコロボックルシリーズだ。